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《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
◎三國遺事:卷第一 紀異1 箕子朝鮮・衛氏朝鮮
『衛氏朝鮮』
殷の箕子が建国したとされる朝鮮の伝説的な古代国家。
いわゆる古朝鮮の一つで、韓氏朝鮮・奇氏朝鮮とも呼ぶ。
首都は王倹城(現在の平壌)。
『三国志』
魏志書、
『魏略』
逸文などにやや具体的な記述が見えるものの、
未だに考古学的な裏付けが無く、実在性は乏しいと考えられている。
『衛氏朝鮮』
衛氏朝鮮(えいしちょうせん 紀元前195年? - 紀元前108年)は、
考古学的に証明できる朝鮮の最初の国家である。
中国資料の記述によれば、
燕の亡命者である満(衛満)
『史記』及び『漢書』には名のみ「満」と記す。
姓を「衛」と記すのは(『三国志』以降)が
今の朝鮮半島北部に立てたとされる。
『史記』
によれば、朝鮮は燕の全盛期その配下に入っていたが、
燕が秦に滅ぼされて後は国外の属国という状態にあった。
前漢の高祖の時代、燕王盧綰が漢に背いて匈奴に亡命すると、
満(衛満)も燕から亡命し、千人余りの徒党と共に朝鮮に入った。
そこで、朝鮮の非漢人系住民や燕・斉の亡命者などを取り込み、
王険城(平壌)を首都として王位に就いた。
その後は独立国家として振る舞い、朝鮮周辺に覇を唱えたが、
孫の右渠の代に、漢の意のままにならないことが武帝の逆鱗に触れ、
紀元前109年、紀元前108年に遠征が行われ、衛氏朝鮮は滅ぼされた。
その故地には楽浪郡、真番郡、臨屯郡、玄菟郡の四郡が置かれ、
漢の直轄地になったという。
なお、『三国志』『魏略』及び『後漢書』
には、
前漢建国当時の朝鮮は箕子の子孫が代々朝鮮侯として治めていたが、
後に朝鮮王を僭称するようになったこと、
箕準の代に至り亡命者衛満の手により王権を奪われたこと、
箕準は残兵を率いて南方の馬韓の地を攻略し、
そこで韓王となったという新たな記述が付け加わっている
(→箕子朝鮮)。
≪参考リンク≫
『古代史獺祭』
『三国史記』
『三国遺事』
『三国遺事』
『電子大藏經』
『倭・倭人関連の朝鮮文献』
『朝鮮の歴史』
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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