2014年9月21日日曜日

始祖赫居世(8)

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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 ≪始祖赫居世≫

 《戒律が二転三転させた壹與の性別》

 同じ「シラ」の名をもった新羅国の始祖王が

 13才で即位した赫居世であり、壹與であって、

 彼女らが卑弥呼政権を倒して新たな国、邪馬壹国を建てたのは事実だ。

 すると壹與がその戒律にさからう「女王」なのは、

 余りにも大きな疑問である。

 この疑問に答えるのが『三国史記』新羅本紀である。

 そこでは十三才で即位した赫居世は男王として書かれている。

 シラ派国(はま)だった新羅はいつまでも

 壹與を女王のままにして置くことはできず、

 記録の上だけでも男王に性転換を強行するほかなかったのである。

 しかし自国の歴史書は、どうにでも変更できるが、

 海外の史書はそうはいかない。 

 『魏書倭人章』は女王壹與の君臨を記録している。

 これは位宮の仏教徒迎合政策も考えられるが、

 それ以上に強力な史実が記録されている。

 それは日本武尊による熊襲梟師(たける)暗殺である。

 日本という名の国は7世紀までは鹿児島県にしかなかったし、

 熊襲は奈良の住民だという学者もいないから、

 この熊襲梟師が本来の山人(ヤマト)=日本(ヤマト)武者その人で、

 少女に姿を変えて梟師(たける)を倒した少年は、

 その地位と名乗りを継いだ新・日本武尊になり、

 蛮人・熊襲にされていた敗者のほうは、

 この名乗りの継承が理解できると、

 熊襲とは肥素(ヒノモト・クマソ)=日本、

 すなわち当時の邪馬壹国の最高権力者・位宮のことだと確認でき、

 王位を継いだ少年の実体は壹與になるのである。

 ※出典:加治木義博 大学講義録30 12頁

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 

 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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