2014年9月23日火曜日

徐那伐(2)

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 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 ≪國號徐那伐≫

 《京城のソウルは日本語》

 壹與が「倭姫命」だとご存じだったからである。

 古来、「天照大神」については

 「太陽神だとする説」と「祭祀者だとする説」の二つがあり、

 後者は「倭姫命」が天照大神だと主張してきた。

 少し手間は掛かったが今それが正しかったことが立証されたのである。
 
 しかもそれは第三者の公平な目で記録した『三国史記』によって…。

 「徐那伐・徐羅伐・徐耶伐・徐伐」

 この国名が当時の地名であることは「鶏林」時代より

 前の国名だから、はっきりしている。

 これは壹與の即位地を教えてくれるはずである。

 先ず何と読むのか検討してみよう。

 「徐伐」以外が真ん中にもつている

 「羅・耶・那」は「ラ・マ・ヤ・ナ」

 という国を意味する言葉であることは直ぐ分ったと思う。

 「徐伐」はその<国>を省略したものということになる。

 この「徐伐」の発音は『三国遺事』という朝鮮の史書に説明がある。

 「今、俗に京の字の訓(よ)みを徐伐という」と書いてある。

 京というのは都のことで、今でも大韓民国の首都は「京城」と書く。

 その京城を「ソウル」と読むことは今では日本でも常識だと思う。

 辞書では京城は「サウル」という発音である。

 「徐伐」は昔は何と発音したのであろうか?。

 今の朝鮮には<ザ行>で始まる言葉はないし清音だから

 「徐(ジョ)」は「サー」と発音する。

 そして「伐木」を「パルモク」と発音する。

 だから「伐」は「パル」である。

 組み合せると「徐伐」は「サーパル」になる。

 これではソウルとかなり違う。

 その違いはこの地名が朝鮮生まれでないことを示している。

 邪馬壹国の宮殿の名は「高千穂の宮」である。

 『日本書紀』「天孫降臨」の一書の六にある

 「襲の高千穂添山峯」の説明に

 「添山、これは曽褒里能耶麻(ソホリノヤマ)という」と書いてある。
 
 戦前までは「添」を「そふる」とカナ書きしていたから、

 「添=ソフル=曽褒里」であって、

 これなら「ソウル」と聞こえても当然だ。

 しかし「徐那伐」は「ソフル」とは読めない。

 それはどうみても「ソナパル」である。

 「ソナ」は高千穂のある「襲の国」の「ソの」であるとして、

 あとの「パル」は何を意味するのであろうか?。

 ※出典:邪馬壹国大移動118頁

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ 

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