Matのジオログ
『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
≪國號徐那伐≫
《沖縄でのギリシャ人の移動拡大を記録した地名》
それは日本列島におけるギリシャ人居住の最初の遺跡でもある。
沖縄列島の最西端は日本の最西端である、そこを出発点として、
日本列島の中に残っている
そのパーリ語圏とギリシャ語圏の移動拡大の跡を、
フリップ化してたどってみよう。
1 与那国島 ヨナグニジマ その東、約200kmの宮古島と那覇市の 隣り南風原(ハイハラ)村に
2、3 与那覇 ヨナハ という2つの字がある。その東隣りが
4 与耶原 ヨナハラ 町だ、広さは4平方kmだが人ロは 12000人を超える。
5、6 与那城 ヨナグスク はその北隣りの西席村の字(あざ)と、 その北東20kmにある半島
このうちの与那原で、
後の邪馬壹国女王壹與が即位したことも、
すでによくご存じである。
それは『三国史記』が新羅始祖王の赫居世として壹與を記録し、
彼女が<徐那伐>で即位したと記録しているが、
これは<ヨナバル>という発音で、
<与那原>を北九州語で発音したものに
朝鮮語で当て字したものだからである。
このことは他にも多くの証拠を残している。
壹與が新羅の初代女王だということは
神功皇后の関係記事が真実である証拠であり、
彼女らがパーリ語を話したこと。
赫夜姫と重ねると彼女は金髪のギリシャ人だったこと。
などなど……。
※出典:大学院講義録11 17頁
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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