2014年9月24日水曜日

徐那伐(11)

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 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 ≪國號徐那伐≫

 《沖縄でのギリシャ人の移動拡大を記録した地名》

 それは日本列島におけるギリシャ人居住の最初の遺跡でもある。

 沖縄列島の最西端は日本の最西端である、そこを出発点として、

 日本列島の中に残っている

 そのパーリ語圏とギリシャ語圏の移動拡大の跡を、

 フリップ化してたどってみよう。

 1   与那国島 ヨナグニジマ その東、約200kmの宮古島と那覇市の                 隣り南風原(ハイハラ)村に

 2、3 与那覇  ヨナハ    という2つの字がある。その東隣りが

 4   与耶原  ヨナハラ   町だ、広さは4平方kmだが人ロは                   12000人を超える。

 5、6 与那城  ヨナグスク  はその北隣りの西席村の字(あざ)と、                 その北東20kmにある半島

 このうちの与那原で、

 後の邪馬壹国女王壹與が即位したことも、

 すでによくご存じである。

 それは『三国史記』が新羅始祖王の赫居世として壹與を記録し、

 彼女が<徐那伐>で即位したと記録しているが、

 これは<ヨナバル>という発音で、

 <与那原>を北九州語で発音したものに

 朝鮮語で当て字したものだからである。

 このことは他にも多くの証拠を残している。

 壹與が新羅の初代女王だということは

 神功皇后の関係記事が真実である証拠であり、

 彼女らがパーリ語を話したこと。

 赫夜姫と重ねると彼女は金髪のギリシャ人だったこと。

 などなど……。

 ※出典:大学院講義録11 17頁

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 

 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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