Matのジオログ
『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
≪號居西干≫
《朝鮮語のない邪馬臺の名詞》
弟のはずの天武天皇が兄のはずの天智天皇より、
4つ年上だったということは、
学者仲間の常識であるが、天智天皇と天武天皇とが兄弟ではない、
というもう一つの大きな証拠は、
その王称である「天皇」というのが
天武天皇の方の王称だったのに対して、
天智天皇の方は別の王称を使う人々だったこともあげていい。
それは彼がまぎれもなく新羅王・金春秋だったからすぐわかる。
新羅では後世は単に「王」と呼んでいるが、
もともと「歯叱今」と呼んでいた。
『三国史記』はこの名詞を
「歯は朝鮮語でイと発音する」と解説をつけている。
それをもとに、この発音を復元してみると、
「叱=シ」「今=コン」だから「イシコン」になる。
これは初代王・赫居世が
「居西干=イセカン」という称号をもっているが、
それは「伊勢神」に表する。
彼女は確かに伊勢の外宮に祭られている伊勢神である。
イセとイシの発音差は標準語と沖縄語との違いである。
するとイシは沖縄語なのだから、
「今」の字を「コン」と発音することはない。
これは「キン」であって、
「イシキン」と読まれていたとしなければならない。
これで、この称号がもともと何という称号だったかがわかる。
それは初代新羅王の赫居世が、
卑弥呼の宗女・壹與だったことが完全に確認されているからである。
彼女が金髪のギリシャ系の女性で、
卑弥呼と同じ烏孫人の子孫であったことは、
これもすでにこのシリーズで考証ずみである。
その第一の証拠が彼女らの政権があった母国「大隅」という地名が、
南九州語の発音で「ウースン」であることが
なによりの証拠だと先にもお話しした。
それがなぜ、どういう経路で沖縄から鹿児島にかけて住んでいたかも、
すでにすべて明らかになった。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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