2014年9月22日月曜日

居西干(3)

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 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 ≪號居西干≫

 《朝鮮語のない邪馬臺の名詞》

 弟のはずの天武天皇が兄のはずの天智天皇より、

 4つ年上だったということは、

 学者仲間の常識であるが、天智天皇と天武天皇とが兄弟ではない、

 というもう一つの大きな証拠は、

 その王称である「天皇」というのが

 天武天皇の方の王称だったのに対して、

 天智天皇の方は別の王称を使う人々だったこともあげていい。

 それは彼がまぎれもなく新羅王・金春秋だったからすぐわかる。

 新羅では後世は単に「王」と呼んでいるが、

 もともと「歯叱今」と呼んでいた。

 『三国史記』はこの名詞を

 「歯は朝鮮語でイと発音する」と解説をつけている。

 それをもとに、この発音を復元してみると、

 「叱=シ」「今=コン」だから「イシコン」になる。

 これは初代王・赫居世が

 「居西干=イセカン」という称号をもっているが、

 それは「伊勢神」に表する。

 彼女は確かに伊勢の外宮に祭られている伊勢神である。

 イセとイシの発音差は標準語と沖縄語との違いである。

 するとイシは沖縄語なのだから、

 「今」の字を「コン」と発音することはない。

 これは「キン」であって、

 「イシキン」と読まれていたとしなければならない。

 これで、この称号がもともと何という称号だったかがわかる。

 それは初代新羅王の赫居世が、

 卑弥呼の宗女・壹與だったことが完全に確認されているからである。

 彼女が金髪のギリシャ系の女性で、

 卑弥呼と同じ烏孫人の子孫であったことは、

 これもすでにこのシリーズで考証ずみである。

 その第一の証拠が彼女らの政権があった母国「大隅」という地名が、

 南九州語の発音で「ウースン」であることが

 なによりの証拠だと先にもお話しした。

 それがなぜ、どういう経路で沖縄から鹿児島にかけて住んでいたかも、

 すでにすべて明らかになった。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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