2014年9月27日土曜日

山に天降った六部の人々(9)

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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 ※出典:新羅概史

 ≪『晋書』辰韓伝≫

 辰韓在馬韓之東、自言秦之亡人避役入韓、韓割東界以居之、

 立城柵、言語有類秦人、由是或謂之為秦韓。

 初有六國、後稍分為十二。

 辰韓は馬韓の東に在り、

 自ら苦役を逃れて韓に進入した秦の逃亡者だと言い、

 韓が東界の地を割譲したので、ここに城柵を立てて居住した。

 言語は秦の人に類似しており、あるいはこれを秦韓とも言う。

 初めは六国あり、後に十二国に細分した。

 三国遺事の「辰韓には昔、六村があった」は、

 上記の「辰韓には初めに六国あり」のことだと思われる。

 従って、

 村とは当時の邑落国家、村長とは邑落国家の首長を指している。

 三国遺事は六村の説明の文末に、次のような奇妙な一節を記している。


 按上文此六部之祖、似皆從天而降。

 弩禮王九年始改六部名。又賜六姓。

 令俗中興部為母、長福部為父、臨川部為子、加德部為女、其實未詳。

 思うに上記の六部の祖は全員が同じように天から降臨している。

 弩禮王(儒理尼師今立)の九年の初め、六部を改名。

 また六姓を賜る。

 俗に中興部を母とし、長福部を父とし、

 臨川部を男児とし、加德部を女児とする。

 その実体は未詳である。

 沙梁部と通仙部が除外されているが、

 六部にも優劣があったのかもしれない。

 また、六部の祖は各々が天から降臨したとするが、

 李氏(瓢嵒峰)、

 鄭氏(兄山)、

 孫氏(伊山)、

 崔氏(花山)、

 斐氏(明活山)、

 薛氏(金剛山)と降臨した山名を記しており、

 おそらくこれが各自の領域を表示しているのだろう。

《参考》





 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 


  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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