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《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
※出典:新羅概史
≪『晋書』辰韓伝≫
辰韓在馬韓之東、自言秦之亡人避役入韓、韓割東界以居之、
立城柵、言語有類秦人、由是或謂之為秦韓。
初有六國、後稍分為十二。
辰韓は馬韓の東に在り、
自ら苦役を逃れて韓に進入した秦の逃亡者だと言い、
韓が東界の地を割譲したので、ここに城柵を立てて居住した。
言語は秦の人に類似しており、あるいはこれを秦韓とも言う。
初めは六国あり、後に十二国に細分した。
三国遺事の「辰韓には昔、六村があった」は、
上記の「辰韓には初めに六国あり」のことだと思われる。
従って、
村とは当時の邑落国家、村長とは邑落国家の首長を指している。
三国遺事は六村の説明の文末に、次のような奇妙な一節を記している。
按上文此六部之祖、似皆從天而降。
弩禮王九年始改六部名。又賜六姓。
令俗中興部為母、長福部為父、臨川部為子、加德部為女、其實未詳。
思うに上記の六部の祖は全員が同じように天から降臨している。
弩禮王(儒理尼師今立)の九年の初め、六部を改名。
また六姓を賜る。
俗に中興部を母とし、長福部を父とし、
臨川部を男児とし、加德部を女児とする。
その実体は未詳である。
沙梁部と通仙部が除外されているが、
六部にも優劣があったのかもしれない。
また、六部の祖は各々が天から降臨したとするが、
李氏(瓢嵒峰)、
鄭氏(兄山)、
孫氏(伊山)、
崔氏(花山)、
斐氏(明活山)、
薛氏(金剛山)と降臨した山名を記しており、
おそらくこれが各自の領域を表示しているのだろう。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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