2014年9月23日火曜日

徐那伐(1)

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 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 ≪國號徐那伐≫

 《「知覧」古代新羅の遺跡》 

 これはそう難しい捜しものではない。

 同じ「知」の字をもっていて、

 全体の発音もよく似た「知覧(チラン)」という

 日本の地名としては特異な地名が、

 知林ガ島の北西約25キロのところにある。

 しかし問題は発音の違いである。

 「林=リン」なのに「覧=ラン」である。

 これは後世に住民が入れ変ったとみると理解できる。

 なぜなら「林」は必ずしも「リン」ではない。

 広東(カントン)語など南中国語では「林=ラーム」と発音する。

 そして「覧」もまた「ラーム」である。

 薩摩半島南部は古来、南中国との交通の盛んだった土地で、

 坊之津港は遣唐使の遺跡として名高く、

 また長く対中国貿易の中心だった。

 さらに林氏という旧家にはその祖先が

 中国から移住したという記録が現存している。

 南中国系の人々が移住して「知林」を「チラーム」と発音していたが、

 外部との接触が増えると、皆「チリン」としか発音してくれない。

 地名として役立たないから様々なトラブルが起こる。

 そこでだれでも「ラーム」と発音する

 「覧」の字に取替えるというのは、ごく自然な発想である。

 こうみてくると「知林ガ島」は古い時代の遺跡であり、

 「知覧」は<鶏林>の遺跡と後世の住民構成の変化を

 記録した複合文化財だ、ということになる。
 
 「鶏林」の跡は朝鮮半島でも捜してみたが、

 それに一致するものはおろか、似た地名も見つからない。

 それは当然であって

 「新羅は朝鮮半島にしかない」と思いこむ方が間違っていたのである。

 新羅は5世紀になって始めて現れた国名である。

 その前は<斯盧>という日本語の白に当たる名をもっていた。

 それよりもさらに古い時代には<鶏林>という名の国であった。

 さらにその前は「徐那伐」という名であった。

 なぜ国号がそんなに、くるくる変ったのか?。

 物の名は固定しているから約にたつ。

 くるくる変れば名として約に立たない。

 物に名のない不便さを考えてみて戴きたい。

 国の名ならなおさらである。

 そこへ行くことはおろか、話題にすることさえできない。

 好きこのんで、くるくる国名を変えることは絶対にない。

 それは自然に変ってしまったのである。

 なぜか?、

 それは別の地名をもった土地へ人々が移動したからである。

 ※出典:邪馬壹国大移動113頁

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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