2014年9月26日金曜日

山に天降った六部の人々(7)

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 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》
 ≪『三国遺事』の始祖伝説”異説”≫

 脱解(たかや)王が改名したという新羅の別名『鶏林』。

 これは本当のことだっただろうか?

 鶏がいたからといって国名まで変えることがあるだろうか。

 『三国遺事』を見ると、

 改名は必ずしも脱解王によるものではないという”異説”が出ている。

 「赫居世王は鶏井で生まれた。だから鶏林国という。

 鶏竜が現れた瑞兆による」とある。

 『史記』にはなかった鶏竜が出現し、

 細部まで脚色が加えられてなかなか面白くなっている。

 要約してみよう。

 「六部の祖たちが各々子弟を引きつれて

  閼(お)川の岸に集まり会議を開いた。

  議題は、我々は君主というものをもっていないために、

  民は皆、やり放題で好き勝手が過ぎる。

  徳の高い人を君主にし、国を立て都を作りたい、ということだった。

  高い所へ登って南をみると楊山の下羅(カラ)井の所に

  不思議な気が稲光のように垂れさがり、

  一頭の白馬が、まるで拝むように前脚を折ってひざまずいている。

  行ってみると一つの紫卵(シラン)があり、

  馬は人を見ると長くいなないて天に昇った。

  卵を割ると姿(すがた)形の端正なこと驚くばかりの男の子がいたので、

  東泉で行水をさせると身から光彩を放った。

  そして鳥や獣まで舞い踊り、天地が震動し、

  日や月までいよいよ明るく、いよいよ澄み渡った。

  よって名を赫居世王と名づけ、王位の名を居瑟邯(いしっかん)とした。

  人々は先を争ってお祝いにやってきたが、

  天子は天降(あまくだ)ったが徳の高いお后(きさき)がまだだ、

  見つけ出して結婚してもらおうと口々にいう。

  不思議にもちょうどその日、

  沙梁里の閼英井(おあい)に鶏竜が現れて左脇腹から少女を生んだ。

  これまた姿(すがた)形の申し分ない大変な美しさ。

  だが一つの難点は、唇が鶏の口ばしに似ていることだった。

  ところが月城の北の川で水を浴びようとしていたとき、

  手が触れて、その口ばしを撥(はら)い落としてしまった。

  これにちなんで、その川の名を撥(はらい)川とし、

  宮殿を南山の西のふもとに建てて、この聖なる男女児を養った。

  その後二人が13歳になったとき、王と后に立てたのである」

 ここでは始林(シリン)という名がなくなって、

 代わりに紫卵が現れている。

 鶏竜は居世のところでなく后の生まれたところに出て、

 そこには林でなく井がある。

 しかしそんなことはおかまいなしに、だから鶏林国という、とある。

 これは鶏が鳴いたからというのより、さらにひどい。

 こうしたことから考えると、

 この鶏林の名は、物語の後でできた名ではなく、

 物語の方が地名の由来を理由づけるために作られた

 「地名説話」であることがわかる。

 鶏林とは物語から生まれた想像の産物ではなく、

 実在だった可能性がある。

 なぜなら、

 女の子の口ばしを撥(はら)い落としたという

 あり得ない物語とは無関係に、

 鹿児島県の大隅には、

 現実にハライ川という地名が現存するからである 

 (鹿屋市祓(はらい)川)。

 ※出典:KOFUN167~168頁

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 

 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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