Matのジオログ
『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
≪國號徐那伐≫
《徐那伐=与那原の移動》
「パル」という発音は今の日本にはないが、
「ハル・バル」という発音なら九州に沢山ある。
それは「原」の九州方言である。
「襲の原」が語源だとすれば、それに合う地名はかなりある。
奈良天理市園原町。
群馬県利根郡利根村園原。
滋賀県坂田郡にも戦前まで園原があつた。
三重県員弁郡北伊勢町其原。
同じ郡の員弁町には楚原があり「ソハラ」は他にも多い。
しかしかんじんの「襲の国」である大隈半島には、
どちらにも合う地名はない。
そこで考えられるのは、わざわざ「徐」の字が使ってあることである。
これは始めは「ジョ」という発音をもつていたのではないか?。
そうだとすると朝鮮語と同じく「ザ行」で始まる言葉のなかった
日本の古語は、それを何と変えてしまったのであろうか?。
それは「ヤ行」で発音されている。
一番分りやすい例が「邪馬臺」である。
それはカールグレン氏の上古音では
「ジゥォマダグ」なのに日本ではいつの間にか
「ヤマダ=山田・ヤマト=大和」と「ヤ行」になってしまっている。
それは今の朝鮮語でも同じで「ジョ」は「ヨ」になる。
「徐那伐」は「ヨナバル」ということになると、
沖縄県島尻都に人口一万二千の与那原(ヨナバル)町がある。
同じ「ヨナバル」という発音をもった
「米原」が熊本県菊池市にもある。
(同じ文字をもった「米原」が滋賀県では
「マイバラ」と発音が変ってしまったのも見られる)。
そして「ヨナバリ」と変ったものが、
奈良の櫻井市にあるこれは「吉隠」と書く。
これは従来、奈良と沖縄との近い関係が分らないために、
渡来人(朝鮮半島からだと信じられていた)が
もってきた謎の地名ということになっていて、
地名語源辞典も避けて通っているが、
「原」は南九州方言では「ハリ・ハイ」と
発音することさえ知っていれば、
それが「ヨナパル」と同じものであることは直ぐ分る。
しかしまだ沖縄と奈良では離れすぎだと思う方には
次の例を見て戴きたい。
沖縄宮古島の下地町と島尻都の南風原(ハイパル)村には
「与那覇(ヨナハ)がある。
同じ「ヨナハ」は遠く離れた山梨県都留市にある。
こちらは当て字が「与縄」と変っているので
今の振りガナでは「ヨナワ」になってしまうが、
それは戦後の変質であって今ならまだ、
その名を役立てることができるのである。
※出典:邪馬壹国大移動119頁
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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