2014年9月23日火曜日

徐那伐(3)

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 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 ≪國號徐那伐≫

 《徐那伐=与那原の移動》

 「パル」という発音は今の日本にはないが、

 「ハル・バル」という発音なら九州に沢山ある。

 それは「原」の九州方言である。

 「襲の原」が語源だとすれば、それに合う地名はかなりある。

 奈良天理市園原町。
 
 群馬県利根郡利根村園原。

 滋賀県坂田郡にも戦前まで園原があつた。

 三重県員弁郡北伊勢町其原。

 同じ郡の員弁町には楚原があり「ソハラ」は他にも多い。

 しかしかんじんの「襲の国」である大隈半島には、

 どちらにも合う地名はない。

 そこで考えられるのは、わざわざ「徐」の字が使ってあることである。

 これは始めは「ジョ」という発音をもつていたのではないか?。

 そうだとすると朝鮮語と同じく「ザ行」で始まる言葉のなかった

 日本の古語は、それを何と変えてしまったのであろうか?。

 それは「ヤ行」で発音されている。

 一番分りやすい例が「邪馬臺」である。

 それはカールグレン氏の上古音では

 「ジゥォマダグ」なのに日本ではいつの間にか

 「ヤマダ=山田・ヤマト=大和」と「ヤ行」になってしまっている。

 それは今の朝鮮語でも同じで「ジョ」は「ヨ」になる。

 「徐那伐」は「ヨナバル」ということになると、

 沖縄県島尻都に人口一万二千の与那原(ヨナバル)町がある。

 同じ「ヨナバル」という発音をもった

 「米原」が熊本県菊池市にもある。

 (同じ文字をもった「米原」が滋賀県では

  「マイバラ」と発音が変ってしまったのも見られる)。

 そして「ヨナバリ」と変ったものが、

 奈良の櫻井市にあるこれは「吉隠」と書く。

 これは従来、奈良と沖縄との近い関係が分らないために、

 渡来人(朝鮮半島からだと信じられていた)が

 もってきた謎の地名ということになっていて、

 地名語源辞典も避けて通っているが、

 「原」は南九州方言では「ハリ・ハイ」と

 発音することさえ知っていれば、

 それが「ヨナパル」と同じものであることは直ぐ分る。

 しかしまだ沖縄と奈良では離れすぎだと思う方には

 次の例を見て戴きたい。

 沖縄宮古島の下地町と島尻都の南風原(ハイパル)村には

 「与那覇(ヨナハ)がある。

 同じ「ヨナハ」は遠く離れた山梨県都留市にある。

 こちらは当て字が「与縄」と変っているので

 今の振りガナでは「ヨナワ」になってしまうが、

 それは戦後の変質であって今ならまだ、

 その名を役立てることができるのである。

 ※出典:邪馬壹国大移動119頁

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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