2014年9月24日水曜日

徐那伐(7)

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 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 ≪國號徐那伐≫

 《豊玉姫から豊前・豊後まで》

 大学講義録15 15~17頁の百襲姫の名乗りは、

 この豊後から方後への修正で、

 より一層、確実度を増して、

 僅かに不安感を残していた疑問が払拭された。

 それは「百」をボセイドンに由来する百済という、やや漠然とした、

 具体性の少ない説明で終わるしかなかったものを、

 さらにより具体的に、完全なまでに説明できるように、

 大きく改善されたからである。

 方後のホーは、確かに百済のホであるが、

 それは彦穂穂出見や狭穂のホだけでなく、

 豊玉姫の豊=ホーであり、

 それが現在の野方に移って方後のホーになり、

 さらにその後、豊後・豊前を生んだホーでもあったから、

 それらは過去の名詞の読み違えも、完全なものに修正してくれる。

 豊玉姫はトヨタマヒメではなく、

 大隅語で「ホツマヒメ」と読むのが正しいし、

 豊前は、やはりホーミヤが先で「不弥」の発音に一致し、

 豊後もホーゴが正しいから、

 肝属郡の方後こそ、間違いなく「不呼」の跡だと断定してよく、

 それらを「ブゼン・ブンゴ」と発音するように変えたものは、

 ホをフと発音する沖縄語の支配者が卑弥呼に取って変わったからで、

 それは与那原=徐那伐で即位した

 伊江島出身の壹與の国・邪馬壹国が、

 九州北部を傘下に収めたことを意味する、ということになる。

 私たちの「言語復元」はまここまで徹底して行なう必要があり、

 それでこそ真実を確証する史実が復元できるのである。

 ※出典:大学講義録15 32頁

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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