2014年9月26日金曜日

山に天降った六部の人々(4)

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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 ≪新羅概史≫

 ※出典:新羅概史

 『三国史記』新羅本紀

 始祖、姓朴氏、諱赫居世。

 前漢孝宣帝五鳳元年甲子四月丙辰(一曰正月十五日)即位。

 號居西干。時年十三。國號徐那伐。


 始祖、姓は朴氏、諱は赫居世。

 前漢の孝宣帝の五鳳元年(前57年)甲子四月丙辰の日

 (一伝には正月十五日)に即位した。
 
 号は居西干(きょせいかん)。

 時に年は十三歳。

 国号は徐那伐(ソラボル=ソウルの語源)。


 先是、朝鮮遺民、分居山谷之間爲六村。

 一曰閼川楊山村、二曰突山高墟村、三曰觜山珍支村(或云干珍村)、

 四曰茂山大樹村、五曰金山加利村、六曰明活山高耶村。

 是爲辰韓六部。


 これに先立ち、朝鮮の遺民が山谷の間に六村を為して分居していた。

 一が閼川の楊山村、

 二が突山の高墟村、

 三が觜山の珍支村(あるいは干珍村とも)、

 四が茂山の大樹村、

 五が金山の加利村、

 六が明活山の高耶村という。

 これが辰韓の六部を為す。


 高墟村長蘇伐公、望楊山麓、蘿井傍林間、有馬、而嘶。

 則往觀之、忽不見馬、只有大卵。

 剖之、有嬰兒出焉。則收而養之。及年十餘歳、岐嶷然夙成。

 六部人、以其生神異、推尊之。

 至是立爲君焉。辰人謂瓠爲朴、以初大卵如瓠、故以朴爲姓。

 居西干、辰言王(或云呼貴人之稱)


 高墟村の村長「蘇伐公」が楊山の麓を望むと、

 蘿井の傍の林間に馬がおり、嘶いていた。

 そこで様子を観に行くと、忽ち馬は見えなくなった。

 ただ大きな卵があり、これを割ると、嬰児が出てきた。

 そこでこの子を拾って養育した。

 年齢が十余歳になると、幼くして英明で、才学が大人びており、

 六部の人々はその神異な生まれを以て彼を尊崇しており、

 ここに至って君主に立てた。

 辰韓の人々は瓠を朴という。

 初めには瓠のような大きな卵だったので、朴を姓とした。

 居西干は、辰韓では王をいう(あるいは貴人の呼称ともいう)。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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