2014年9月29日月曜日

『三国遺事』とは

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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 ◎『三国遺事(さんごくいじ)』とは

 13世紀末に

 高麗の高僧一然

 (1206年 - 1289年)によって書かれた私撰の史書。

 大部分の撰述の時期は1270年代後半から1280年代中頃であり、

 一然の没後に弟子の無極(宝鑑国師の混丘)が

 補筆・署名し、刊行されたと見られる。

 朝鮮半島における現存最古の史書である

 『三国史記』(1145年完成)に次ぐ古文献ではあるが、

 由来の怪しい古書を引用するなど、史書としての問題点は少なくない。

 しかし、三国時代及びそれ以前の朝鮮半島の歴史を

 記した資料は極めて乏しいということもあって、

 『三国史記』と並んで朝鮮半島古代史の基本文献として扱われている。

 また、『三国史記』が名だけを留めて収めなかった

 郷歌(ヒャンガ)を14首伝えており、言語学資料としての価値も高い。

 「解説」

 『三国遺事』は13世紀末、

 丁度元寇当時の高麗の僧、無極一然の著書で、

 『三国史記』を補うような形をしており、

 古事記と似た働きをもっている。

 《どちらが祖先か日鮮両語》

 『三国遺事』は、朝鮮の坊さんが1227年に、

 朝鮮に伝わる伝説、逸話などを集めて記録したものである。

 だから新羅建国からは

 少くとも1000年以上経過しているとみなけれはならない。

 それにもかかわらず、いま謎ときができるだけの、

 しつかりした中身を伝えていたのである。

 著者、僧一然氏は、殆んど700年目にあたる今、

 彼の仕事がこんなにも認められて、

 泉下で大いに満足していると思うのである。

 こうして、作為なく、収録者も話者も真相を知らぬままに話し、

 書き綴ったものが、

 新羅神話とは、

 日本神話と同じ天孫降臨の変型したものであることを証明した。

 新羅の始祖は半島でなく鹿児島に住み、

 その名も赫居(カゴ)之王と名乗っていたのである。

 とすれば後世朝鮮半島に住み、

 新羅の国を発展させた人々は血液も言語も、

 日本人と共通であったはずである。

 日鮮同祖論はここで新らしい大きな証拠によって、

 その正しさが証明されたことになる。

 ただ従来は半島から日本列島へ、

 人々が移り住んだと全く反対に考えられてきた。

 日鮮語の類似は、

 朝鮮語が日本へ入ったためだ、とされてきた。

 だが、

 どうやらそれは完全に間違っていて、

 正反対に日本から半島へ流入したとせねばならないようである。

 それを確かめるのは、別に難事でも何でもない。

 日本人は、すでにみたように、

 混成民族であることがはっきりしているから、

 日本語もまた、海外の言語が混入しているはずである。

 朝鮮語は、

 三韓が九州から移動したのであれは、

 共通語があって当然だから反対側の国々、

 南西諸島からさらに南西にひろがるマレー語圏のことばと、

 日本のことばを比較すれば、

 日本を中心にして、どちらからどちらへ移動したか、

 かなりの精度でつかむことが可能なはずである。

 このことはまた当然、

 これまで日本式発音だけで検討してきた官名などが、

 どういう構造になっているかを確かめるのにも役立つはずである。

 また日本語でとけない名詞。

 <ヤマト>とか<アスカ>とか邪馬臺とか狗奴国とかの正体を、

 明らかにする手がかりが得られるかもしれない。

 沖縄の向うにはすぐ台湾があるが、

 その土着の言語はマレー語圏に属する。

 マレー語には<クリ>という発音で<毛>を意味する語がある。

 <粟野>はマレー語とすれば「毛の」を意味し、

 霧島の山ふところにあって

 毛人の国にさらに有力な証拠を加えることができる。

 まず大きく網をひろげて、さらに飛躍した証拠群を捉えるためにも、

 マレー語は重要な対象であり、それは大きな収穫を約束してくれている。

 出典:加治木義博 邪馬臺国の言葉:111~112頁
 邪馬臺国の言葉:『言語復原史学会:加治木義博』


《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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