2014年9月20日土曜日

始祖赫居世(4)

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 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 ≪始祖赫居世≫

 《位宮と壹與の即位地》
 
 「京城」の語源になった「徐那伐」は、

 姿は変っているが沖縄から関東地方にまで広がって

 残っていることが分る。

 それが沖縄人の足跡とどう関係があるかは今後の研究課題だが、

 それがこれまで謎のままで残っている

 「乎獲居(オワケ)の鉄剣」

 (埼玉県行田市稲荷山古墳出土)に見つかった

 「金象嵌銘文」などの解読に

 大きく役立つという予測が生まれてくる。

 当面の問題は壹與すなわち赫居世が即位した

 「徐那伐」はどこか?ということである。

 彼女の即位年は甲子の正始五年(244)だった。

 その年は父の位宮が北朝鮮から落ちのびた年である。

 老卑弥呼が狗奴国男王との不和を帯方郡に訴えたのは、

 その3年後の正始八年(247)だったから、

 正始五年にはまだ老卑弥呼政権は健在で、

 とても九州には侵入できない。

 位宮はまだ狗奴国男王になったばかりである。

 当然、邪馬臺国より南の海の彼方にいた時である。

 こう順を追って考え合わせると、

 その「徐那伐」は九州本土の中央にある

 熊本県の「米原(ヨナバル)」ではない。

 どうしても沖縄の「与那原(ヨナバル)だったということになる。

 これは位宮が最初の神武天皇のモデルであることでも証明される。

 神武天皇の名乗りは「神日本磐余彦」で、

 その頭文字の「神」は「チヌ」を表わしており、

 「チヌ」とは「ウチヌ」すなわち沖縄にほかならないことを、

 「邪馬臺国の風雲」(前出)で詳しく説明しておいた。

 また壹與が天照大神であることを考えると

 彼女が「霊異之児」(=『日本書紀』)だからと、

 父母が「天上の事を授けよう(宗教を担当させよう)」といって、

 「天」に挙げた。

 という記事が参考になる。

 そのとき両親は「島」に天降(あまくだ)って「日本」を産む。

 どこからみても壹與の即位地は「島」だったのである。

 さらにもう一つ、

 沖縄から「姶良(カラ)国」「始羅国(シラギ)」への遠征が、

 「神功皇后の新羅」として記録されている。

 それは「稲羽の素兎(イナバのシロウサギ)の話とも複合ており、

 その出発点は全て「オキの三つ子島」すなわち沖縄であったことを

 〔異説・日本古国家〕(前出)で解説してある。

 ※出典:加治木義博 邪馬壹国大移動120頁

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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