Matのジオログ
『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
≪國號徐那伐≫
《シュメル原産のスサノオと、山字貝製遺物》
『後漢書』が記録した107年に後漢を訪れた倭国王・帥升は、
漢魏音でスイサヌウ、すなわちスサノオという名乗りで、
これはシュメルの古都スサ(現在のイランのスーサ)の王を意味し、
出雲神話のスサノオの尊の八俣の大虵退治も、
何代目かのスサノオ=位宮が卑弥呼政権を倒した史実を、
英雄ギルガメシュの大蛇退治神話を模して説話化したものである。
だから八俣とは、八幡をヤバタ→ヤマタと訛った当て字、
大虵(ウチ)は鹿児島神宮所在地の名の
「ウチ=内=宇治」への当て字である。
ヤマタは邪馬臺に似ているが、
邪馬(ジャマ)がヤマと発音されるようになったのは8世紀以後のことで、
この神話とは全く関係なく、
邪馬臺(ジャマダイ)がヤマトだというコジツケと
全く同じで無知の産物にすぎない。
さらに邪馬臺という名詞自体、後世の人間の錯覚が産み出した幻覚で、
現実にはこの地球上に存在したことのない幻なのだ。
「中国の山岳崇拝→種子島」
バビロンに敗北したシュメル人は
中国に移動して「周」をたて、殷帝国を倒した。
またアレクサンドロス東征の落とし子・ギリシャ人も中国に住み、
オリンパス山などを神山とするギリシャ宗教の「山」信仰で、
台湾を女神ホーライの名で蓬莱山(ホーライ)と呼ぶ
秦(シン)の徐福らの「方士」が秦代に
琉球の
与那原(よなばる)=徐那伐(ヨナバル)=徐福の都(ジョナハラ)へ伝え、
それが種子島南部の「広田」弥生遺跡に、
「山」字とギリシャ文字を彫った貝製装身具を残したのである。
※出典:大学講義録32 30頁
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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