2014年9月24日水曜日

徐那伐(8)

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 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 ≪國號徐那伐≫

 《シュメル原産のスサノオと、山字貝製遺物》

 『後漢書』が記録した107年に後漢を訪れた倭国王・帥升は、

 漢魏音でスイサヌウ、すなわちスサノオという名乗りで、

 これはシュメルの古都スサ(現在のイランのスーサ)の王を意味し、

 出雲神話のスサノオの尊の八俣の大虵退治も、

 何代目かのスサノオ=位宮が卑弥呼政権を倒した史実を、

 英雄ギルガメシュの大蛇退治神話を模して説話化したものである。

 だから八俣とは、八幡をヤバタ→ヤマタと訛った当て字、

 大虵(ウチ)は鹿児島神宮所在地の名の

 「ウチ=内=宇治」への当て字である。

 ヤマタは邪馬臺に似ているが、

 邪馬(ジャマ)がヤマと発音されるようになったのは8世紀以後のことで、

 この神話とは全く関係なく、

 邪馬臺(ジャマダイ)がヤマトだというコジツケと

 全く同じで無知の産物にすぎない。

 さらに邪馬臺という名詞自体、後世の人間の錯覚が産み出した幻覚で、

 現実にはこの地球上に存在したことのない幻なのだ。

 「中国の山岳崇拝→種子島」

 バビロンに敗北したシュメル人は

 中国に移動して「周」をたて、殷帝国を倒した。

 またアレクサンドロス東征の落とし子・ギリシャ人も中国に住み、

 オリンパス山などを神山とするギリシャ宗教の「山」信仰で、

 台湾を女神ホーライの名で蓬莱山(ホーライ)と呼ぶ

 秦(シン)の徐福らの「方士」が秦代に

 琉球の

 与那原(よなばる)=徐那伐(ヨナバル)=徐福の都(ジョナハラ)へ伝え、

 それが種子島南部の「広田」弥生遺跡に、

 「山」字とギリシャ文字を彫った貝製装身具を残したのである。

 ※出典:大学講義録32 30頁

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 

 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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