2014年9月21日日曜日

始祖赫居世(6)

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 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 ≪始祖赫居世≫

 《伊勢の神で鹿児島王の赫居世・壹與》

 日本の古代宗教が

 「日の神・伊勢の大神=天照大神」を

 中心にしていたことはご存じのとおりである。

 それを今「神道」と呼ぶことも常識である。

 とすると今もインドでは、

 シンドゥ教徒と仏教徒が流血の争いをみるほど敵対しているのだから、

 仏教徒がそのシンドウ教徒と同じジャムブ・ディパを

 「邪馬臺」と表現したという答えは矛盾してみえる。

 ことに注意が必要なのは、

 この本の目標である大化改新(乙巳の変)の直接の動機は、

 これまで

 「神道勢力が仏教勢力を打倒した宗教クーデターだった」

 とされていることである。

 だとすれば「神道」とヒミコ当時の原始仏教だった

 「アショカ仏教」とは、

 仇敵どうしのあいだがらであって互いに相容れない。

 だからこそシンドゥ派の狗奴国男王だった伊支馬=垂仁天皇が、

 ヒミコ政権を倒して、

 あとにシンドゥ教の国・邪馬壹国を樹立したのだった。

 その国が後に「シン国(ラ)=新羅」と改名したのも、

 この「シンド=シン国=印度」教国の意味である。

 それは南九州から北上して、

 福岡で「白日の国」と呼ばれた時代ののち、

 さらに海を越えて朝鮮半島に「新羅国」を拡大し、

 大化改新と時を同じくして朝鮮半島全域を統一した。

 その国の始祖王は「赫居世王」という名で記録されているが、

 この名はその支配地域が「赫力居ゴ世シ国マ」だったことを、

 その「名乗り」で記録したものなのだ。


 これは他の証拠といっしょに『コフン』でお話ししたが、

 ここでもう一つつけ加えておこう。

 この始祖王は『三国史記』の一番初め[新羅本紀]の

 また一番最初に出てくるが、

 そこには「始祖 赫居世 居西干」と書いてある。

 [新羅本紀]は後世の王のところで、

 この名の後につけた敬称らしい「居西干」というのは、

 何のことか意味のわからないまったく知らない外国の言葉だ、

 と書いている。

 だが私(加治木義博)には、はっきりそれがどういう意味か、

 わかっている。

 それは「居イ 西セ 千カン」すなわち「伊勢神」の鹿児島方言である。

 それは伊勢の内宮と外宮に祭られた

 日本人の始祖・天照大神や豊受大神と同義語である。

 だがこの二柱は今では日本だけで祭られているから、

 これまでの常識ではこの神々が、

 朝鮮半島に関係があるとは誰も考えなかったのである。

 この伊勢の大神はどちらも女性であることも周知のことである。

 だから赫居世は女性であって、

 新羅の前身「邪馬壹国」建国当時の女王・壹與だとすると、

 「居世=イヨ=壹與」であることもわかり、

 初めてすべてが合理的に一致して謎が解け、

 『魏書倭人章』と『三国史記』の記事が、

 少しの食いちがいもなくなるのである。

 ついでにいえば「豊受」は「ホウケ」と発音するのが正しい。

 それは壹與が「豊玉=ホツマ」姫の妹で

 「百済=ホズミ」

 「穂々出見=ホホデミ」

 「火須勢理=ホスセリ」

 「本牟智和気=ホムチ ワケ」といった名を名乗る

 「ホの国」の一族の出身だからである。

 ※出典:加治木義博 WAJIN 67~68頁

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 

 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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