2014年9月20日土曜日

始祖赫居世(3)

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 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 ≪始祖赫居世≫

 《赫居世が天照大神》

 『三国史記』には「前漢の五鳳元年[BC57]の甲子」と書いてあった。

 それはどうなるのか?。

 『三国史記』は朝鮮の正史だとはいっても、

 12世紀半ばの1145年(日本の平安後期、源義家・西行法師の時代)

 になって「高麗」で編集された。

 日本の『記・紀』より、さらに4世紀以上も後のもので、

 しかも別の国の記録を寄せ集めてあるから、

 編集にはかなりの無理が見られ、

 年代なども適当にはめこまれたものが多い。

 一方、私たちは、複雑なデータを比較し、

 実に厄介な分析を重ねて整理した結果、

 位宮と伊支馬そのほかの別名が、

 同一人のものだと確認でき、始めて狗奴国男王の侵入が、

 位宮の亡命であったことが分ったのである。

 その年が「甲子」で、壹與の即位年が「甲子」ということは、

 位宮・壹與父子の即位が同時だった可能性が強いから、

 史料だけでそれを書いている

 『三国史記』の「甲子」は出鱈目ではなく根拠があると確認できる。

 しかし『三国史記』の編集者は、

 私たちのようには比較も分析もできなかったから、

 およその時代を、大体の見当で選んで、

 その頃の「甲子」に当たる年をいかにも確実な年代のように書き加えた。

 それが「前漢の五鳳元年の甲子」なのであって、

 それは編集者の想像による「追加」に過ぎないから、

 多くの証拠が揃っている私たちの方が正しいのである。

 もちろん四月と正月という大きく異なる即位の月も

 伝承の乱れを立証しているのであって、

 確実な記録に基づいて書かれたものではないという証拠なのである。

 4 「居西干」。

  これは「イシカン」読むと、様々な古新羅王の王称と一致する。

  しかし壹與が天照大神であることを知った上で、その名をみると

  「居世」は「イセ」・「居西」も「イセ」で天照大神を祭る「伊勢」

  と無関係ではないことが分る。

 その変化の順序を追ってみると

 「壹與」から「居世」の当て字が生まれ

 「居世」から「居西」の当て字が生まれ、

 その「イセイ」の発音に対して

 「伊勢(イセイ)の当て字が生まれたことが、はっきり見てとれる。

 最後の「干」は発音「カン」。

 南九州方言の「神」と一致する。

 「居西千」は「伊勢神」で「伊勢の天照大神」と同じ意味になる。

 「始祖=赫居世居酉干」は「壹與・伊勢の天照大神」だったのだ。

 ※出典:加治木義博 邪馬壹国大移動117頁

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 

 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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