Matのジオログ
『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
≪號居西干≫
《『女王の所都=邪馬壹国』は隼人町一帯》
鹿児島神宮が鎮座する字の名は「内(うち)」だから、
ウチナ=沖縄からきた遷都を物語っている。
大御神=卑弥呼を祭る伊勢神宮のある宇治山田の宇治は、
このウチに対する当て字でウチと発音しなければいけない。
これも卑引呼が鹿児島神宮の鎮座地と姫木山にいた証拠である。
では壹與は卑弥呼の死後、女王になって何処に都を置いたのか?
これがヤマタイ論争の究極の主題
『女王の所都=邪馬壹国の所在』 なのである。
『三国史記』にある壹與の「新羅本紀」の名乗りは赫居世だが、
この居世は、重箱読みされたイセに対する当て字の一つであり、
居西干=イセカンと号したとあるから
「伊勢神=伊勢の大神」が彼女の名乗りで、
卑弥呼の次の天照大神になったことが判る。
そして彼女は徐那伐=ヨナバルを
国号にしていたという記事があるから、
沖縄の与那原で即位している。
沖縄人だから、やはりウチナで、
鹿児島神宮も伊勢神宮もどちらも彼女を祭っている。
鹿児島神宮には彼女が神功皇后として
鹿児島にやってきたときの遺物である
「潮干るの珠、潮満つの珠」が神宝の中にあり、
私は戦後すぐそれを計測し、写真に撮らせて頂いた。
だから、
壹與は間違いなく政変後は鹿児島神宮が鎮座する「内(うち)」に居た。
張政が書いた『 女王の所都=邪馬壹国』の中心=皇居は、
時間帯からみて、ここ以外にはあり得ないのである。
※出典:大学院講義録40・28頁
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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