Matのジオログ
『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
≪新羅で後世まで使われた爾支とその正体≫
同じ西の名をもつのは沖縄の西表島と種子島の西之表市である。
文字は同じでも発音が違う。
西表は「イリオモテ」だが、
西之表は「ニシノオモテ」である。
この表=オモテは玄関口を意味する。
支配者たちが「イリ」「ニシ」という称号を、
名乗りの中にもっても不思議ではない。
古来、一日本人はそうした方位名を地名にする習慣の持ち主だった。
国名に四神の色の名を使った
「青(オオ)=倭(オオ)=東、
白=新羅=西、
赤=水(アカ)=海神国(ポセイドン)=百済=南、
黒=高麗(クレ)・韓(カラ)=北」は、
色の名がギリシャ語の発音通りだから、
ギリシャ人の習慣だとわかるが、
爾支は実はインド語であって、単なる方位名だけではない。
これに似た遺物から見てみよう。
応神天皇の都は「軽」という名だから、
その宮城は「軽城(き)」。
すると、その当て字の元になった発音は「カルキ」で、
その当て字が鹿児城(カルキ)→麑(ゲイ)城→鹿児島と
変わった可能性が強い。
これはシンドゥ教の最高神ビシュヌーの武神としての
異名「 kalki =カルキ」で、
応神天皇が武神=八幡大菩薩とされる謎を解くカギはこれ以外にはない。
このカルキは称号をもっていて「Nishkalanka =ニシカランカ」という。
爾支・韓ン神(カン)と読めるが、韓=カラも黒で北。
そしてこの名は「西の国=新羅」で王称として永く使われていた。
『三国史記』新羅本紀の3~18代までの王が皆
「尼師今=ニシキン=西君=西王=爾支」を名乗ったのである。
※出典:大学講義録16・11頁
≪参考リンク≫
『古代史獺祭』
『三国史記』
『三国遺事』
『三国遺事』
『電子大藏經』
『倭・倭人関連の朝鮮文献』
『朝鮮の歴史』
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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