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『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
≪伊耶那岐命だという証明をもつ垂仁天皇≫
『古事記』の伊耶那美が、
木花佐久夜毘売・豊玉昆売・抄本毘売だったから、
伊耶那岐は、その夫の
① 邇邇芸(ニニギ)命 「木花佐久夜毘売」
② 日子穂穂出見命=火遠理命 「豊玉昆売」
③ 垂仁天皇=位宮 「抄本毘売」
もともと一人の位宮だったこの人の名乗りが、
どう書かれているか見てみよう。
① 天津日高日子
番能(ホの)邇邇芸(ニニギの)命
(萬幡豊秋津師比売命生子 天火明命、次子邇邇芸…)
② 天津日高日子
穂穂出(手)見命
(火照・火須勢理・火遠理=火闌降・火々出見・火明)
③ 伊久米 伊理毘古 伊佐知命
(高句麗 山上王 延優・一名 位宮)
①②は前半は全く同じである。
①の番はホと読むから穂と同じ。
②の出は南九州語で「ヅ」と発音するから「津」と同じ、
津は助詞のノだから①の「能」と同じ。
①の芸は清音ケだから②の見(ケン)は「芸ン=ケン」で①と同じ。
この名はポセイドンへの当て字だとわかっているから、
その当て字が読めずに変化して、2つに分裂した跡を残している。
③は彼の後期の名乗りだから一致するはずがないが、伊久は位宮。
伊理は沖縄語のイリ=西で、
伊都国の支配者・爾支や新羅王の名乗り
「尼師今=ニシキン=西君=爾支王」だが、
今ここで重要なのは伊佐知命である。
伊佐知の知は沖縄語のチだから「木(キ)・岐(キ)」。
伊佐岐命は「伊佐(イサ)ナ岐(キ)命」そのものである。
最も現実的な天皇名に最古の名乗りが実在しているのだ。
※出典:大学講義録29・9頁
≪参考リンク≫
『古代史獺祭』
『三国史記』
『三国遺事』
『三国遺事』
『電子大藏經』
『倭・倭人関連の朝鮮文献』
『朝鮮の歴史』
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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