2014年10月2日木曜日

箕子朝鮮・衛氏朝鮮(7)

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 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 ≪イヌが貰った漢委奴国王の金印≫

 先にお話しした三千数百年前の中国第二の帝国・「商」は

 「イン=殷」と呼ばれた人々の国で、

 その国に沖縄を中心にした宝貝産業が

 貝貸を供給して繁栄していたことが、

 その帝国の勢力範囲にある遺跡から出土する

 貝貨遺物の調査でわかっています。

 その帝国が<周>に滅ぼされて

 殷王の子孫・朝鮮侯が遼東地区に残っていましたが、

 のち<古代の燕>にその地区を奪われ、今の朝鮮半島に移ると、

 今度は<燕>が前漢に併合され、

 燕人の「衛満(エイマン)」が亡命してきて、

 だまして朝鮮半島を奪いました。

 準王は命からがら半島から海を渡って「韓」へ逃げました。

 今でこそ韓国は外国ですが、

 当時「カラグニ」というのは

 「日の大神シバ」のインド語の方言名の一つで、

 「韓国」という漢字はその当て字なのです。

 そのカラグニ教徒が住んでいた地域が

 「カラグニ=姶良郡」で、隼人町もその中に入りますから、

 準王らの逃げた先「韓」は南九州だったのです。

 だからそのイン=殷人の子孫が、

 後漢時代に九州に王国を再建していても少しも不思議はありません。

 「委奴=イン=殷」があったのは当然だったのです。

 いま福岡県にある羽犬塚という地名は、

 この「漢=ハン・委奴=イヌ」国王の塚(墓)のあるところ、

 という名になっています。

 金印が福岡から見つかったのも当然なのです。
 
 3世紀半ばに位宮が倒した旧卑弥呼政権は、

 その羽犬塚に近い伊都国を首都にしていましたから、

 彼女を女王に選出した国だったとみていいし、

 位宮が桃太郎に一致するのですから、

 その家来「イヌ」は鹿児島発音でインで、

 このイン人たちだったことになります。

 そして姶良郡にも当然多くの子孫が残っていました。

 それが後に隼人族と呼ばれた人たちだとすると、

 8~9世紀に奈良に定着したした「ヤマト」朝廷で、

 近衛部隊を編成していた隼人たちが、

 ギリシャ式に「前へならえっ」とか「右向けーみぎっ」などと

 儀式の時に特殊な号令をかけるのを

 「犬吠え」と呼んだ理由もわかります。

 もう少しうがった見方をすると、

 あの「狗奴(くぬ)国」という国名も

 「狗=犬」の国という意味だった可能性が強く、

 それを位宮は部下に加えたとみなければ不十分でしょう。

 これだけのことがわかって見ると、

 位宮が攻めこんだとき彼は間違いなく

 熊毛=狗奴国の軍勢をひき連れていたし、

 九州連邦との複数のイヌ人が複合して彼を助けたはずです。

 『桃太郎』の部下の筆頭が「イヌ」なのは、

 当然すぎるほど当然だといえます。

 ※出典:加治木義博 日本誕生の秘密:308~309頁

 ≪参考リンク≫

 『古代史獺祭
 『三国史記
 『三国遺事
 『三国遺事
 『電子大藏經
 『倭・倭人関連の朝鮮文献
 『朝鮮の歴史

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  


 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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