2014年10月9日木曜日

尼師今(12)

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 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》
 ≪伊都の長官「爾支」の真意は?≫

 すると伊都を管轄していた長官の「爾支」とは、

 「三国史記」 の「新羅本紀」の尊称である尼師今(ニシキン)で、

 それは「主君・ヌシキミ」の訛りで、

 「主」をアルジと読むのも、

 「爾支」の中国読みの「アルヂ」だと、

 すでに判っているのだから、

 爾支は尼師で「主」である。

 新羅本紀は、

 13 歳で即位した赫居世

 (カグイヨ=鹿児・壹與=壹與=神功皇后2 ) から始まり、

 そのときの新羅は開聞であり白日の国だから、

 薩摩と福岡であるし、

 朝鮮半島は北の高句麗から南の帯方、三韓まで

 位宮と卑弥呼=神功皇后1 の支配下にあったのだから、

 この名ももちろん倭人語=日本語である。

 すると「ニシ」は「西」でもある。

 沖縄語では西は「イリ」だから「入・伊理」とも書く。

 『記・紀』の崇神天皇と垂仁天皇との皇子女名についている、

 これらの「イリ」はこの爾支と尼師今と同じものなのである。
 
 ではそれは「入王朝」と呼ぶような異質の外来政権だったのであろうか?

 この長官名は伊都国のものだが、そこは直後に不弥に変わった。

 不弥と一対になる国は不呼国で、これは日向でもあった。

 そこは文字通り日に向かい、

 それを古体でフリ仮名すると「ヒムカヒ」で、

 語尾のヒをシと訛ったものが「ヒムカシ=東」である。

 すると「爾支=西」と完全な対語になっている。

 これが東西の国を区分する名詞なら、

 爾支は西の長官という官名でもある。

 ※出典:大学院講義録40・25頁

 ≪参考リンク≫

 『古代史獺祭
 『三国史記
 『三国遺事
 『三国遺事
 『電子大藏經
 『倭・倭人関連の朝鮮文献
 『朝鮮の歴史

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)  
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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