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『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
≪伊都の長官「爾支」の真意は?≫
すると伊都を管轄していた長官の「爾支」とは、
「三国史記」 の「新羅本紀」の尊称である尼師今(ニシキン)で、
それは「主君・ヌシキミ」の訛りで、
「主」をアルジと読むのも、
「爾支」の中国読みの「アルヂ」だと、
すでに判っているのだから、
爾支は尼師で「主」である。
新羅本紀は、
13 歳で即位した赫居世
(カグイヨ=鹿児・壹與=壹與=神功皇后2 ) から始まり、
そのときの新羅は開聞であり白日の国だから、
薩摩と福岡であるし、
朝鮮半島は北の高句麗から南の帯方、三韓まで
位宮と卑弥呼=神功皇后1 の支配下にあったのだから、
この名ももちろん倭人語=日本語である。
すると「ニシ」は「西」でもある。
沖縄語では西は「イリ」だから「入・伊理」とも書く。
『記・紀』の崇神天皇と垂仁天皇との皇子女名についている、
これらの「イリ」はこの爾支と尼師今と同じものなのである。
ではそれは「入王朝」と呼ぶような異質の外来政権だったのであろうか?
この長官名は伊都国のものだが、そこは直後に不弥に変わった。
不弥と一対になる国は不呼国で、これは日向でもあった。
そこは文字通り日に向かい、
それを古体でフリ仮名すると「ヒムカヒ」で、
語尾のヒをシと訛ったものが「ヒムカシ=東」である。
すると「爾支=西」と完全な対語になっている。
これが東西の国を区分する名詞なら、
爾支は西の長官という官名でもある。
※出典:大学院講義録40・25頁
≪参考リンク≫
『古代史獺祭』
『三国史記』
『三国遺事』
『三国遺事』
『電子大藏經』
『倭・倭人関連の朝鮮文献』
『朝鮮の歴史』
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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