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『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
≪応神以前の為政者も神話でなく史実の人たち≫
位宮の名は、ヨーナの原音・イオニアのイオンの意味である
「行く」に対する当て字の、
位宮(イク)だと前にお話しした通り、
それも個人名ではなくイオニア王を意味する名乗りだった。
その伴侶であった壹與は、
『三国史記』では、新羅始祖王・赫居世居西干と記録してある。
この「居西千」はイセカンだから
「伊イ 勢セ 神カン」である。
これは卑弥呼と壹與が、
天照大神と豊受大神だという仮説の正しさを証明している。
この2大女神はいうまでもなく
三重県の宇治山田市にある伊勢皇太神宮の主神である。
しかしなぜ天照大神というのか?。
『三国史記』では、新羅の王称を尼師今(ニシキン)とも書く。
これは日本語である「尼の師の君(きん)」への当て字だから
尼 寺師 倭 女君
天 照す 大 御神 なのである。
続く新羅王は南海次次雄だ。
この次次雄は朝鮮語発音では
「ススウ」で、これに助詞のヌを入れると「ススヌウ」。
これはスサノオの沖縄発音「ススヌウ」とぴったり一致する。
本号(大学院講義録11)で先にお話しした
『後漢書』の倭王「帥升」はスィサヌウで、
スサノオへの当て字以外には考えられない。
応神天皇以前の天照大神や垂仁天皇=位宮が実在者であったことは、
このように『記・紀』以外の
『三国史記』や『後漢書』にも明記されていて疑問などない。
※出典:大学院講義録11・28頁
≪参考リンク≫
『古代史獺祭』
『三国史記』
『三国遺事』
『三国遺事』
『電子大藏經』
『倭・倭人関連の朝鮮文献』
『朝鮮の歴史』
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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