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《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
三國史記 卷第一 新羅本紀第一 婆娑尼師今
第五代 婆娑尼師今(在位 80年-112年)
第五代・婆娑尼師今(2)
『三国志魏書』弁辰伝
弁辰もまた十二国、また諸々の小さな別邑があり、
各自に渠帥(首領)がおり、大首領は臣智と言い、
その次に險側、次に樊?、次に殺奚、次に邑借がいる。
(弁辰に)彌離彌凍国、接塗国、古資彌凍国、古淳是国、
半路国、樂奴国、彌烏邪馬国、甘路国、狗邪国、走漕馬国、
安邪国(馬延国)、斯盧国がある。
(辰韓に)已柢国、不斯国、勤耆国、難彌離彌凍国、冉奚国、
軍彌国(弁軍彌国)、如湛国、戸路国、州鮮国(馬延国)、
斯盧国、優由国がある。
上記の金海の狗邪国が「金官国」、
高霊の彌烏邪馬国が「大加耶」と改称する。
また、三国史記が言う新羅とは「斯盧国」のことである。
「六伽耶」
上記の弁韓十二国が同盟組織を形成し、
四世紀から五世紀前半、洛東江下流の金海地域の「金官国」を
盟主とする連盟体制『五加耶(もしくは六加耶)』が
成立(前期加耶)。
また、五世紀後半からは洛東江西側の高霊地域の
「大加耶」を盟主とする連盟体制が成立(後期加耶)したが、
百済や新羅に侵食されて弱体化し、
日本書記では「任那(加耶)で、
倭国、百済、加耶が復興を協議した」とあるが、
新羅によって562年に滅ぼされる。
※出典:新羅の歴史
≪参考リンク≫
『古代史獺祭』
『三国史記』
『三国遺事』
『三国遺事』
『電子大藏經』
『倭・倭人関連の朝鮮文献』
『朝鮮の歴史』
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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