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《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
三國遺事 (卷1)第四脫解王
≪第四代脫解王(在位 57年-80年)≫
第四脫解王(1)
(原文)
脫解齒叱今(一作吐解尼師今)。
南解王時、駕洛國海中有船來泊。
其國首露王與臣民鼓譟而迎。
將欲留之、而舡乃飛走、
至於雞林東下西知村阿珍浦
(今有上西知下西知村名)。
(訳文)
脱解歯叱今(吐解尼師今とも)。
南解王の時代、駕洛国の海中に来泊する船があった。
その国の首露王と臣民は大騒ぎで迎えた。
まさにこれを係留しようとすると、船は飛ぶように走り去り、
雞林の東の下西知村阿珍浦
(今、上西知、下西知の村名あり)に到着した。
(原文)
時浦邊有一嫗、名阿珍義先、
乃赫居王之海尺之母。
望之謂曰:
此海中元無石嵒。
何因鵲集而鳴。孥舡尋之。
鵲集一舡上。
舡中有一櫝子。
長二十尺。廣十三尺。
曳其船置於一樹林下。
(訳文)
その時、海辺に一人の老婆がおり、名は阿珍義先。
赫居王の海尺の母。
これを望んで曰く
「この海中には元より岩石はないはず。
どうして鵲が集って鳴いているのだろう」。
小舟でこれを探した。
鵲が一艘の船の上に群れていた。
船中には一つの棺があった。
長さ二十尺。幅は十三尺。
その船を曳いて樹林の一本の下に置いた。
(原文)
而未知凶乎吉乎。
向天而誓爾俄而乃開見。
有端正男子并七寶奴婢滿載其中。
供給七日、
廼言曰。
我本龍城國人
(亦云正明國。或云[王+完]夏國、[王+完]夏、
或作花廈國。龍城在倭東北一千里)。
我國嘗有二十八龍王從人胎而生。
自五歲六歲繼登王位。教萬民修正性命。
而有八品姓骨。然無棟擇。皆登大位。
(訳文)
しかし、凶吉が定かではないので、
天に向かって急いで祈りを捧げて、棺を開けて見た。
その中には端正な男子がおり、一緒に七宝や奴婢が満載だった。
飲食物を与えること七日、
初めて言うには
「私は本来は龍城国の人
(または正明国という。あるいは[王+完]夏国、[王+完]夏、
あるいは花廈国ともする。龍城は倭の東北一千里に在る)。
我が国ではかつて二十八人の龍王が人の胎内から生まれ、
自ら五~六歳で王位を継承し、万民に正しい生き方を修めさせた。
而して八品の貴姓があるが、競い合うことなく、皆が王位に登った。
出典:堀貞雄の古代史・探訪館
≪参考リンク≫
『古代史獺祭』
『堀貞雄の古代史・探訪館』
『三国史記』
『三国遺事』
『三国遺事』
『電子大藏經』
『倭・倭人関連の朝鮮文献』
『朝鮮の歴史』
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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