2014年10月11日土曜日

第四脫解王(1)

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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 三國遺事 (卷1)第四脫解王

 ≪第四代脫解王(在位 57年-80年)≫

 第四脫解王(1)

 (原文)

 脫解齒叱今(一作吐解尼師今)。

 南解王時、駕洛國海中有船來泊。

 其國首露王與臣民鼓譟而迎。

 將欲留之、而舡乃飛走、

 至於雞林東下西知村阿珍浦

 (今有上西知下西知村名)。

 (訳文)

 脱解歯叱今(吐解尼師今とも)。

 南解王の時代、駕洛国の海中に来泊する船があった。

 その国の首露王と臣民は大騒ぎで迎えた。

 まさにこれを係留しようとすると、船は飛ぶように走り去り、

 雞林の東の下西知村阿珍浦

 (今、上西知、下西知の村名あり)に到着した。

 (原文)

 時浦邊有一嫗、名阿珍義先、

 乃赫居王之海尺之母。

 望之謂曰:

 此海中元無石嵒。

 何因鵲集而鳴。孥舡尋之。

 鵲集一舡上。

 舡中有一櫝子。

 長二十尺。廣十三尺。

 曳其船置於一樹林下。

 (訳文)

 その時、海辺に一人の老婆がおり、名は阿珍義先。

 赫居王の海尺の母。

 これを望んで曰く

 「この海中には元より岩石はないはず。

  どうして鵲が集って鳴いているのだろう」。

 小舟でこれを探した。

 鵲が一艘の船の上に群れていた。

 船中には一つの棺があった。

 長さ二十尺。幅は十三尺。

 その船を曳いて樹林の一本の下に置いた。

 (原文)

 而未知凶乎吉乎。

 向天而誓爾俄而乃開見。

 有端正男子并七寶奴婢滿載其中。

 供給七日、

 廼言曰。

 我本龍城國人

 (亦云正明國。或云[王+完]夏國、[王+完]夏、

  或作花廈國。龍城在倭東北一千里)。

 我國嘗有二十八龍王從人胎而生。

 自五歲六歲繼登王位。教萬民修正性命。

 而有八品姓骨。然無棟擇。皆登大位。

 (訳文)

 しかし、凶吉が定かではないので、

 天に向かって急いで祈りを捧げて、棺を開けて見た。

 その中には端正な男子がおり、一緒に七宝や奴婢が満載だった。

 飲食物を与えること七日、

 初めて言うには

 「私は本来は龍城国の人

 (または正明国という。あるいは[王+完]夏国、[王+完]夏、

 あるいは花廈国ともする。龍城は倭の東北一千里に在る)。

 我が国ではかつて二十八人の龍王が人の胎内から生まれ、

 自ら五~六歳で王位を継承し、万民に正しい生き方を修めさせた。

 而して八品の貴姓があるが、競い合うことなく、皆が王位に登った。


 出典:堀貞雄の古代史・探訪館

 ≪参考リンク≫

 『古代史獺祭
 『堀貞雄の古代史・探訪館
 『三国史記
 『三国遺事
 『三国遺事
 『電子大藏經
 『倭・倭人関連の朝鮮文献
 『朝鮮の歴史

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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