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『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
≪『三国遺事』の始祖伝説”異説”≫
新羅の場合はさらに、
もっと直接的な出身地証明がある。
始祖王・赫(かく)居世の時の大臣はさきにも話した瓠公だが、
彼以外の家臣の名は出てこないから、
彼が最高の地位にいたことは間違いない。
この人物は『三国史記』編集時には
もう族姓がはっきりしなくなっていたが、
もと倭人で、瓠(ひょうたん)を腰につけて
海を渡って来たから瓠(こ)公と呼ばれた、と明記してある。
ところが王様の赫居世もまた<瓠>という名の変化した
<朴>という名をもっている。
その理由を、辰韓の人たちは<瓠>を<朴>というので、
<瓠>のように大きな卵から生まれたから
<朴>を姓にしたのだと書いている。
人が卵から生まれることはないので、これは理由にはならない。
<瓠>は瓠公とまぎらわしいので、
だれかが同音の<朴>という字を当てたのだとみる方が、
より合理的である。
ということは、赫赤居世と瓠公は二人でなく同一人で、
乏しい古記録をよせ集めたとき、
二とおりの史料があったために分化が起こつたのである。
それを証明するのは、赫居世(カコシ)の名である。
これは赫居世と読める配列になっている。
これに古代の国称、国を<マ>と呼んだものを
下につけると赫居世国は<カコシマ>となり
鹿児島と当て字しても無理ではない。
とすれば<瓠>と<朴>が同音だというのは
日本語、少なくとも鹿児島方言でなければならないことになる。
<瓠>は<ヒサゴ>、<ホウ>。
<朴>は<ボク>、<ホウ>の音をもっている。
<瓠>は『倭名類聚鈔』巻一六の六、杓(しゃく)の中に、
「瓠は匏(ハウ)也、匏薄交(ハクコウ)反可為飲器者也」と書いてあり、
包(ホウ)と薄(ハク)の音があることを示している。
朴の方は巻二〇に和名「保々(ホホ)」であると説明している。
ということは、瓠と朴は<ホー>という発音でだけ一線になる字で、
この鹿児島王が別に<ホホ>という名をもっていたことを示している。
いま鹿児島神宮の主祭神は
彦火火出見(ひこほほでみ)の尊(みこと)(日子穂穂出見命)である。
<火火>も<穂穂>もまさに<ホホ>である。
さきの新羅の地名が南九州のものと合い、
今また始祖の名が日本の皇祖と一致する。
これはけっして偶然ではない。
新羅にはもう一人始祖といっていい人物がいる。
それは四代・脱解王である。
[脱解紀]のはじめは次のようなものである。
「脱解は倭国の東北千里にある多婆那(たばな)国の生まれである。
その国の王が女国の王女と結婚したところ、
妊娠したのに子どもが生まれず
7年もかかってやっと生み落としたものは、
なんと、大きな卵だった。
王はいやな顔をして
『人が卵を生むとは不吉なことだ。棄ててしまえ』と命じたので、
女王は卵を布でつつんで宝物と一緒に箱に入れて海に流した。
箱ははじめ金官国に流れついたが、
その国の人は気味悪がって取らなかったので、
また流れていって辰韓の阿珍浦についた。
浜辺にいた老婆が箱を明けてみると、
男の子が入っていたので家へ連れて帰って育てたところ、
背の高い、知識も人なみすぐれた好青年になった。
-中略-
老母は『お前は普通人ではないから学問で身を立てなさい』
といい脱解も励んだので、
3代の南解次次雄王がその賢さをきいて王女の婿に選び、
4代目の王になったのである」
だいたいこんなふうに書いて新羅王統の三つの家柄のうち、
「昔」という姓の始祖であることこの昔という字は、
老婆が箱を見つけたとき
、鵠(かささぎ)が鳴いてついて来たからだというが、
鵠はを記録しているのである。
ジャクの音に対する当て字から生まれた物語り上の幻想で、
<ジャク>は邪久国、邪古国という当て字で
『新唐書』などに記録された
屋久島(やくしま)の古名であると仮定すると、
その出身地名が姓になるという原則に一致する。
この<ジャク>は、本来琉球を意味するという説がある。
その理由はいろいろいわれているが、
それより現在も鹿児島弁では
琉球を<ジキュ>または<ジク>と発音するという事実の方が、
より強い説得力をもっている。
<邪>の頭音は<ジ>であるから<邪久>は<ジキュウ>とも<ジク>とも読める。
もちろん<邪>は後世の日本では<ヤ>とも読むようになるから、
屋久とも共通である。
これは屋久島が、
琉球の人たちの移住によって地名が移ったものが、
後世、<リュウキュウ>と<ヤク>の二つに区分して
使われるようになったと考えるのがいちばん当をえている。
※出典:KOFUN・167~169頁
≪参考リンク≫
『古代史獺祭』
『堀貞雄の古代史・探訪館』
『三国史記』
『三国遺事』
『三国遺事』
『電子大藏經』
『倭・倭人関連の朝鮮文献』
『朝鮮の歴史』
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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