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《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
『三国史記』新羅本紀
第四脫解王
(原文)
脱解尼師今立、一云吐解。
時年六十二、姓昔。妃阿孝夫人。
脱解本多婆那國所生也。
其國在倭國東北一千里。
初其國王娶女國王女為妻。
有娠七年、乃生大卵。
王曰「人而生卵不祥也。宜棄之」。
其女不忍、
以帛卵裏寶物置於櫝中、
浮於海、任其所往。
(訳文)
脱解尼師今が立った、一説に吐解という。
時に年六十二歳、姓は昔。妃は阿孝夫人。
脱解、本来は多婆那国で生まれた。
その国は倭国の東北一千里に在る。
初め、その国王は女国の王女を娶って妻とした。
懐妊から七年、大きな卵を産んだ。
王が言うには「人にして卵を生むのは不祥である。適当に廃棄せよ」。
その王女は忍び難く、絹布に卵を包み、
宝物と一緒に棺(ひつぎ)の中に安置し、
海に浮べ、その行く先任を(潮流に)任せた。
(原文)
初至金官國海邊、
金官人怪之不取。
又至辰韓阿珍浦口。
是始祖赫居世、在位三十九年也。
時海邊老母、以繩引繋海岸。
開見之、有一小児在焉。
其母取養之。
及壮身長九尺、風神秀朗、智識過人。
或曰「此児不知姓氏。
初来時、有一鵲飛鳴而隨之、
宜省鵲字、以昔為氏。
又解而出、宜名脱解」。
(訳文)
初めは金官国の海辺に着いたが、
金官人はこれを怪しんで取得せず。
また、辰韓の阿珍浦海岸に漂着した。
これは始祖・赫居世の在位三十九年のことである。
その時、海辺の老婆が(船を)縄で引き寄せて海岸に繋留させた。
これを開けて見ると、一人の童児が中にいた。
その老婆はこれを拾得して養育した。
成長すると身長九尺、風貌は秀逸で明朗、智識は人に優れていた。
あるいは曰く「この児の姓氏は不明。
初めて来た時、一羽の鵲が飛来し、鳴きながら随伴したのだから、
鵲の字を省略して、昔を以て氏と為す。
また、解いて出てきたのだから、脱解と名付ける」。
(原文)
脱解始以漁釣為業、供養其母、
未嘗有懈色。
母謂曰「汝非常人、骨相殊異、
宜従學、以立功名」。
於是、専精學問、兼知地理、
望楊山下瓠公宅、
以為吉地。
設詭計、以取而居之。
其地後為月城。
(訳文)
脱解は初め、漁釣りを生業と為し、その母を供養し、
未だかつて懈怠の様子はなかった。
母が言うには「汝は常人に非ず、骨相は特異、
宜しく学修し、功名を立てなさい」。
ここに学問に専念し、地理にも通じ、
楊山の麓の瓠公の居宅を展望して、
吉運を生む地勢と観た。
詭計を設け、詐取してここに住む。
その地は後に月城となる。
出典:堀貞雄の古代史・探訪館
≪参考リンク≫
『古代史獺祭』
『三国史記』
『三国遺事』
『三国遺事』
『電子大藏經』
『倭・倭人関連の朝鮮文献』
『朝鮮の歴史』
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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