Matのジオログ
『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
≪金波鎮漢紀(こんはちんき)・武の謎解き≫
こうしたことがわかった目でみると、
その「金波鎮漢紀(こんはちんかんき)・武」という
「名乗り」の意味が、
初めて非常に鮮明に読みとれる。
この名乗りの一部分が第11のキーである。
まず「波鎮漢」は新羅の官位の名である。
『三国史記』[新羅本紀]には第3代の王・儒理(ジュリ)尼師今が、
初めて新羅政府の官吏制度をきめた中の、
四等官に「波珍飡」という称号がある。
これは『日本書紀』に「波珍干(かん)
([神功皇后紀]=微叱己知・波珍干・岐)」というふうに、
少し文字が違うだけで、同じ発音の官名として登場する。
この新羅の官名は、
漢字で書かれていることでわかるように、
中国の官吏制度を参考にして作られたものだから、
当時の中国の官名とくらべてみると意味がよくわかる。
『魏書倭人章』の「塞曹掾史(さくそうえんし)・張政」の
「塞」は「砦(とりで)」のことではなくて、「塞族」のことである。
ギリシャ人がスキュタイと呼んだ人々は、
当時までの中国の周辺勢力として、
歴代中国政権の悩みのタネだった。
「曹(そう)」はそれを担当しているという意味。
「掾史(えんし)」は下役のこと。
張政は帯方郡外務部のサカ族課長ぐらいのところである。
当時の倭国がサカ族を含んでいたから彼が派遣されてきたので、
サカ族は「釋迦(シャカ)族」だから、
彼が仏教徒の倭(ウワイ)人を担当していたのは当然のことだった。
「金・波鎮漢」の金もその「塞」と同じく、
彼が担当している相手の国を示している。
これは朝鮮訛りでは「ソク」である。
それがなぜ、
全然関係のなさそうな「カン」という発音として
使われているのであろうか?
今の外務省北米局といったものである。
では「金」とはどこの国なのだろう?
それは発音でわかる。
当時の中国の漢魏音では「キン」。
南中国発音では「コム」だった。
国名なのだから「コム」とは
「高麗(コマ)」の訛りであるとすれば一番わかりやすい。
『記・紀』をみると高句麗のことを全部「高麗」と書いてある。
またその高句麗の一族が、
今の中国東北区(満州)地域に「金(キン)」という国を
1115年に作って、それが後の中国「郡」政権になった。
その「チン」も「沖縄語ではキをチと発音する」
ということを知っていれば、
もともと「キン」と同じものだということはすぐわかる。
ここで、ついでに新羅の官名にある
「飡」という字をなんと発音するかお話ししておこう。
これは従来「ソニ」とか「ソク」などと発音しているが、
ここに挙げた3つを比較してみると
「波鎮漢」=「波珍干」=「波珍飡」という公式ができあがる。
「金・波鎮漢」の金もその「塞」と同じく、
彼が担当している相手の国を示している。
これは朝鮮訛りでは「ソク」である。
誰がみてもこの言葉の発音は疑いの余地もなく
「ハチンカン」でなければならない。
しかし「飡」という字は特殊な文字で、
漢音では「食」と同じ「ショク」としか読めない。
「食」はいうまでもなく、ものを食べることである。
新羅が最初、邪馬壹国として誕生したのは鹿児島県だったことは、
このシリーズで詳しく立証ずみで、
もう疑問の余地はないが、その鹿児島の言葉では、
その「食べる」を「カン」と発音するのである。
これは「噛む」の鹿児島訛りだが、
「食」の字では違った意味に取られて不都合なので、
二水(にすい)のついた「飡」の字を選んだとみると謎はなくなる。
新羅が鹿児島で生まれた邪馬壹国だったことに疑問のある方は、
『ヒミコ』以下の本シリーズをお読みになっていただけば、
よくおわかりいただけると思う。
この官名によって、
彼が「高麗」担当の新羅の四等官として、
それを名乗ったことがわかる。
では後に残った「岐」と「武」は、何のことなのだろう?
これは一字ずつ別に読むのであろうか?
二字で一つの名なのだろうか?
それとも二字で姓と名なのだろうか?
また「武」というのは単なる名なのだろうか?
それとももっとちがった意味があるのだろうか?
※出典:WAJIN・113~115頁
≪参考リンク≫
『古代史獺祭』
『三国史記』
『三国遺事』
『三国遺事』
『電子大藏經』
『倭・倭人関連の朝鮮文献』
『朝鮮の歴史』
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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