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『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
≪知覧こそ古新羅の”鶏林”≫
この笠狭にあたる笠沙町は、
古来のものかどうか不明だったものを、
ある町長が強引に町名を変えたといういきさつがあって、
信頼度は低いとされてきた。
しかし阿珍浦も、
阿を<オ>、
珍を<ウヅ>と読むと、オウ津浦となり、
笠沙半島のつけ根にある大浦と合う。
こうした一致は偶然には起こらないから、
町名は正しく伝承どおりに復元されていたとしていい。
この笠沙、加世田の東に、知覧という町がある。
茶と特攻隊基地で全国的に知られた所である。
これを<シラン>と読んでみると紫卵と同音になり、
<シラヌ>すなわち「斯羅の」国に一致する。
遺事』の始祖王の条にはもう一つの「斯盧」という別名も出ている。
素菟は素が<シロ>だったし、白日別と書くとシロの日の別国で、
不知火の<シラヌヒ>、白縫<シラヌイ>も白ヌ日に対する
当て字とみて間違いない。
では始林がどうして鶏林に変わったか、
その変化のシステムを解析してみよう。
鶏は
漢音<ケイ>、
韓音<キェ>、
江南音<チー>である。」
始<シ>から鶏<チー>へ変化したとみると、
これは江南系の発音をもった人々が入ったために、発音変化が起こり、
それにともなって当て字も変化したとみるのが常識的である。
私たちはすでに、<キ>を<チ>と発音する沖縄系の人々が、
この新羅建国の主流だったことを見てきた。
私たちがいま支那(シナ)と発音する文字は秦に対する当て字で、
沖縄の人々はこれらの<シン>を<チヌ>と発音する。
それは北上につれて<シヌ>となり<ヒノ>になる。
<シラギ>とは日羅郡であり日の国である。
こうみてくると知覧は日羅ヌ国であって、
大阪をはじめ全国に多い「平野」と同名だったということになる。
というより、それらの地名のルーツがここにあり、
それが一方では「日本」という国名に育ち、
一方では「新羅」という国名に変わって途中で消えた。
しかし人々は全滅したわけではない。
<ヒラ>、<シテ>、<キラ>といった発音で、
地名に、姓に生き残っているのである。
知覧には予想どおり豊玉姫を主神に、
日子火火出見尊、豊玉毘古命、玉依昆売命を祭る豊玉姫神社があり、
姫の御陵地として古来農耕を禁じられている伝説地がある。
『記・紀』では姫は竜になった姿を見られて子供だけを残して、
海の彼方に去ったことになっている。
だから知覧に御陵があるという考え方は、
『記・紀』の知識を利用して自分たちの町を
有名にしようとしたものとは考えられない。
今、日韓の古史を発掘し、言語を復元して、
私たちが事実を知るまではだれ一人
知覧と日本と新羅とを結びつけて考えた人はけなかったのである。
しかし、鶏林と新羅の間に知覧をはさまないと
なぜ鶏林が新羅になったかが理解できないのである。
伝承はさまざまに誤解され続けて変型しながらも、
伝えるべきものは伝えてきた。
玄海の荒海にへだてられて、北と南に分かれ分かれて、
互いの素性もわからなくなった新羅と日本で、
やはり竜が子を産みそれが始祖となった物語で、
伝承がどんなに分裂し変型していくかを教えるかのように……。
紙数の制限がなければ、知覧の伝承をさらに紹介したいが、
それは後著に譲り、
ここでは知覧について実に多くを教示してくれた友、
横井隆一郎氏に厚くお礼申し上げる。
<笠狭の岬と宮の山由緒書き>
皇孫瓊瓊杵(ににぎ)の尊(みこと)が宮居を定むべき地を探し求めて
吾田(あた)の長屋(ながや)の笠沙の碕(みさき)においでになり
塩土(しおつち)の翁(おきな)から領有地の献上を受けられ
「ここは韓国(からくに)に向かい朝日の直刺(たださ)す国、
夕日の火照(ひて)る国なり、いとよきところ」
と木花開耶姫(このはなさくやひめ)を妃(ひ)とせられ、
ここに宮居を定められた。
神代笠沙宮の古址を伝えられる。
(笠沙町観光協会)
<開聞岳と知林ケ島(右中央の島)と枚聞神社>
※出典:KOFUN・172~175頁
≪参考リンク≫
『古代史獺祭』
『堀貞雄の古代史・探訪館』
『三国史記』
『三国遺事』
『三国遺事』
『電子大藏經』
『倭・倭人関連の朝鮮文献』
『朝鮮の歴史』
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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