2014年10月17日金曜日

知覧こそ古新羅の”鶏林”


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 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 ≪知覧こそ古新羅の”鶏林”≫

 この笠狭にあたる笠沙町は、

 古来のものかどうか不明だったものを、

 ある町長が強引に町名を変えたといういきさつがあって、

 信頼度は低いとされてきた。

 しかし阿珍浦も、

 阿を<オ>、

 珍を<ウヅ>と読むと、オウ津浦となり、

 笠沙半島のつけ根にある大浦と合う。

 こうした一致は偶然には起こらないから、

 町名は正しく伝承どおりに復元されていたとしていい。

 この笠沙、加世田の東に、知覧という町がある。

 茶と特攻隊基地で全国的に知られた所である。

 これを<シラン>と読んでみると紫卵と同音になり、

 <シラヌ>すなわち「斯羅の」国に一致する。
 
 遺事』の始祖王の条にはもう一つの「斯盧」という別名も出ている。

 素菟は素が<シロ>だったし、白日別と書くとシロの日の別国で、

 不知火の<シラヌヒ>、白縫<シラヌイ>も白ヌ日に対する

 当て字とみて間違いない。

 では始林がどうして鶏林に変わったか、

 その変化のシステムを解析してみよう。

 鶏は

 漢音<ケイ>、

 韓音<キェ>、

 江南音<チー>である。」

 始<シ>から鶏<チー>へ変化したとみると、

 これは江南系の発音をもった人々が入ったために、発音変化が起こり、

 それにともなって当て字も変化したとみるのが常識的である。

 私たちはすでに、<キ>を<チ>と発音する沖縄系の人々が、

 この新羅建国の主流だったことを見てきた。

 私たちがいま支那(シナ)と発音する文字は秦に対する当て字で、

 沖縄の人々はこれらの<シン>を<チヌ>と発音する。

 それは北上につれて<シヌ>となり<ヒノ>になる。

 <シラギ>とは日羅郡であり日の国である。

 こうみてくると知覧は日羅ヌ国であって、

 大阪をはじめ全国に多い「平野」と同名だったということになる。

 というより、それらの地名のルーツがここにあり、

 それが一方では「日本」という国名に育ち、

 一方では「新羅」という国名に変わって途中で消えた。

 しかし人々は全滅したわけではない。

 <ヒラ>、<シテ>、<キラ>といった発音で、

 地名に、姓に生き残っているのである。

 知覧には予想どおり豊玉姫を主神に、

 日子火火出見尊、豊玉毘古命、玉依昆売命を祭る豊玉姫神社があり、

 姫の御陵地として古来農耕を禁じられている伝説地がある。

 『記・紀』では姫は竜になった姿を見られて子供だけを残して、

 海の彼方に去ったことになっている。

 だから知覧に御陵があるという考え方は、

 『記・紀』の知識を利用して自分たちの町を

 有名にしようとしたものとは考えられない。

 今、日韓の古史を発掘し、言語を復元して、

 私たちが事実を知るまではだれ一人

 知覧と日本と新羅とを結びつけて考えた人はけなかったのである。

 しかし、鶏林と新羅の間に知覧をはさまないと

 なぜ鶏林が新羅になったかが理解できないのである。

 伝承はさまざまに誤解され続けて変型しながらも、

 伝えるべきものは伝えてきた。

 玄海の荒海にへだてられて、北と南に分かれ分かれて、

 互いの素性もわからなくなった新羅と日本で、

 やはり竜が子を産みそれが始祖となった物語で、

 伝承がどんなに分裂し変型していくかを教えるかのように……。

 紙数の制限がなければ、知覧の伝承をさらに紹介したいが、

 それは後著に譲り、

 ここでは知覧について実に多くを教示してくれた友、

 横井隆一郎氏に厚くお礼申し上げる。

 <笠狭の岬と宮の山由緒書き>

 皇孫瓊瓊杵(ににぎ)の尊(みこと)が宮居を定むべき地を探し求めて

 吾田(あた)の長屋(ながや)の笠沙の碕(みさき)においでになり

 塩土(しおつち)の翁(おきな)から領有地の献上を受けられ

 「ここは韓国(からくに)に向かい朝日の直刺(たださ)す国、

  夕日の火照(ひて)る国なり、いとよきところ」

 と木花開耶姫(このはなさくやひめ)を妃(ひ)とせられ、

 ここに宮居を定められた。

 神代笠沙宮の古址を伝えられる。

 (笠沙町観光協会)

 <開聞岳と知林ケ島(右中央の島)と枚聞神社>

 ※出典:KOFUN・172~175頁


 ≪参考リンク≫

 『古代史獺祭
 『堀貞雄の古代史・探訪館
 『三国史記
 『三国遺事
 『三国遺事
 『電子大藏經
 『倭・倭人関連の朝鮮文献
 『朝鮮の歴史

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)  
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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