2014年10月6日月曜日

三國遺事 (卷1)第三儒理王

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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 ≪第三代 儒理王(在位 24年-57年)≫

  第三弩禮王

朴弩禮尼叱今(一作儒禮王)初王與妹夫脫解讓位。脫解云。凡有德者多齒。宜以齒理試之。乃咬餅驗之。王齒多。故先立。因名尼叱今。尼叱今之稱自此王始。劉聖公更始元年癸未。即位(年表云。甲申即位)改定六部號。仍賜六姓 始作兜率歌。有嗟辭詞腦格 始製黎耜及藏冰庫。作車乘。建虎十八年。伐伊西國滅之。是年。高麗兵來侵

 『三国遺事』弩禮王

 (原文) 

 朴弩禮尼叱今(一作儒禮王)。

 初王與妹夫脱解讓位。

 脱解云、

 凡有德者多齒、宜以齒理試之。

 乃咬餅驗之、王齒多。故先立。

 因名尼叱今。

 尼叱今之稱自此王始。

 劉聖公更始元年癸未、

 即位(年表云。甲申即位)。

 改定六部號。

 仍賜六姓。

 始作兜率歌。

 有嗟辭詞腦格、

 始製黎耜及藏冰庫、作車乘。

 建虎十八年。

 伐伊西國滅之。

 是年。高麗兵來侵。


 (訳文)

 朴弩禮尼叱今(一説には儒禮王)。

 初め、王は妹の夫である脱解に讓位した。

 脱解が言うには

 「凡そ有德者は歯が多い。宜しく歯並びをこれで試しましょう」。

 そこで餅を咬んでこれを検証すると、

 王の歯は多かった故に、先に立つ。

 因って尼叱今と呼んだ。

 尼叱今の称号はこの王より始まる。

 劉聖公の更始元年(23年)癸未、

 即位(年表には、翌年の甲申即位)。

 六部の号を改定し、すぐに六姓を賜う。

 初めて兜率歌が作られた。

 有嗟辭詞腦格(嘆息の辞詞が脳裏に極まる?)、

 初めて農具や氷室を製造し、馬車を作って乗った。

 建虎十八年(42年)。

 伊西国を討伐し滅ぼした。

 この年、高句麗の兵が侵攻して来た。

 ※「伊西国」

 (原文)

 弩禮王十四年。

 伊西國人來攻金城。

 按雲門寺古傳諸寺納田記云。

 貞觀六年壬辰伊西郡今郡村零味寺納田。

 則今郡村今清道地。

 即清道郡古伊西郡一。

 (訳文)

 弩禮王の十四年(37年)。

 伊西国人が金城を攻撃して来た。

 思うに、雲門寺の古伝では諸寺納田記には、

 貞観六年(632年)壬辰、伊西郡(今の郡村)零味寺が納田。

 すなわち今の郡村とは現在の清道地である。

 従って、清道郡は古には伊西郡の一つであった。

 ※出典:新羅の歴史

 ≪参考リンク≫

 『古代史獺祭
 『三国史記
 『三国遺事
 『三国遺事
 『電子大藏經
 『倭・倭人関連の朝鮮文献
 『朝鮮の歴史

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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