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『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
≪知覧」古代新羅の遺跡≫
これはそう難しい捜しものではない。
同じ「知」の字をもっていて、
全体の発音もよく似た「知覧(チラン)」という
日本の地名としては特異な地名が、
知林ガ島の北西約25キロのところにある。
しかし問題は発音の違いである。
「林=リン」なのに「覧=ラン」である。
これは後世に住民が入れ変ったとみると理解できる。
なぜなら「林」は必ずしも「リン」ではない.
広東(カントン)語など南中国語では「林=ラーム」と発音する。
そして「覧」もまた「ラーム」である。
薩摩半島南部は古来、南中国との交通の盛んだった土地で、
坊之津港は遣唐使の遺跡として名高く、
また長く対中国貿易の中心だった。
さらに林氏という旧家にはその祖先が中国から
移住したという記録が現存している。
南中国系の人々が移住して「知林」を「チラーム」と発音していたが、
外部との接触が増えると、皆「チリン」としか発音してくれない。
地名として役立たないから様々なトラブルが起こる。
そこでだれでも「ラーム」と発音する「覧」の字に取替えるというのは、
ごく自然な発想である。
こうみてくると「知林ガ島」は古い時代の遺跡であり、
「知覧」は<鶏林>の遺跡と後世の住民構成の変化を記録した
複合文化財だ、ということになる。
「鶏林」の跡は朝群半島でも捜してみたが、
それに一致するものはおろか、似た地名も見つからない。
それは当然であって
「新羅は朝鮮半島にしかない」と思いこむ方が間違っていたのである。
新羅は5世紀になって始めて現れた国名である。
その前は<斯盧>という日本語の白に当たる名をもっていた。
それよりもさらに古い時代には<鶏林>という名の国であった。
さらにその前は「徐那伐」という名であった。
なぜ国号がそんなに、くるくる変ったのか?。
物の名は固定しているから投にたつ。
くるくる変れば名として役に立たない。
物に名のない不便さを考えてみて戴きたい。
国の名ならなおさらである。
そこへ行くことはおろか、話題にすることさえできない。
好きこのんで、くるくる国名を変えることは絶対にない。
それは自然に変ってしまったのである。
なぜか?、
それは別の地名をもった土地へ人々が移勤したからである。
※出典:邪馬壹国大移動・113頁
≪参考リンク≫
『古代史獺祭』
『堀貞雄の古代史・探訪館』
『三国史記』
『三国遺事』
『三国遺事』
『電子大藏經』
『倭・倭人関連の朝鮮文献』
『朝鮮の歴史』
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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