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『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
≪タバナ国とタチバナ≫
多婆那にも同様に何カ所もの候補地がある。
観光地で有名な鹿児島県最南端の与論島の首府は茶花(ちゃばな)である。
沖縄本島からはたしかに東北の位置にある。
<タバナ>はまた、
さきにもいったが<バ>と<マ>は馬の字の二音のように、
日本では方言によって使いわけられている、
タマナに変化する名でもある。
熊本市の西北に「玉名」があるが、
これは熊本を倭国としても位置関係が合わないし、
新羅の候補地である白日別の国、福岡県へは陸続きであって、
卵を流す海の話にも合わない。
赫居世時代が鹿児島時代とすると、
この玉名と茶花との間にもうひとつ以上の
多婆那国候補地があるはずである。
それはやや複雑だが解けない謎ではなかった。
手がかりがたくさんあるからである。
沖縄と茶花の関係を考えると、
もうひとつの邪久は屋久島であったから、
その東北千里にある島といえば種子島(たねがしま)である。
ここには南種子町に宝満(ほうまん)の池という伝説地があり、
海幸山幸の話に出てくる豊玉姫、玉依姫、
その父の豊玉彦といずれも玉の名をもっている。
国称には支那、ウチナ(沖縄)、任那(ミマナ)のように
語尾に<ナ>のくるものがあり、
倭人伝中には奴のつく国が十カ国ちかくある。
これらの語尾は国を意味する<ナ>であるとみると、
玉那が玉の名をもったこの島は、玉那であった可能性が強い。
宝満の池の名も、豊(ホウ)と宝(ホウ)。
宝(タカラ)の頭音<タ>と、
満の頭音<マ>で<タマ>となる名で豊玉国と密接につながっている。
種子島は古くは多執と書かれた。
これは<タジ>と読めるから、
二郎と書いてジローと読むようにタニとも発音されて、
種または種子の字が当てられた。
だから古くは国称のマをつけるとタジマで、
田島守の田島や但馬、多遅馬は、
この島の名から出ていると考えていい。
これにさらに後世またナという国称をつけたと見られるのは
橘という名が現れることで類推できる。
なぜならタチバナは多遅馬那で結局、
種子島から出た名ということになる。
多遅馬那は当然沖縄県の発音であるから
<チ>は<津>の意味として取り去ると<タバナ>が残る。
また茶花や、沖縄本土の地名「知花」を重視すると、
多チバナで、多(おお)の国のチバナの意味にもとれる。
いずれをとってみても多婆那国の資格は充分である。
脱解王は倭国の東北千里、すなわち茶花から玉名までのどれをとっても、
日本列島中の九州出身だったことは間違いない。
その中で特に濃厚なのが、この種子島ということになる。
<三つの多婆那国>
① 与論島茶花
② 種子島と屋久島
③ 熊本県玉名郡と玉名市
※出典:KOFUN・162~163頁
≪参考リンク≫
『古代史獺祭』
『堀貞雄の古代史・探訪館』
『三国史記』
『三国遺事』
『三国遺事』
『電子大藏經』
『倭・倭人関連の朝鮮文献』
『朝鮮の歴史』
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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