2014年10月2日木曜日

箕子朝鮮・衛氏朝鮮(8)

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 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 ≪前漢当時は朝鮮半島の国々も倭だった≫

 蓋国とは、朝鮮半島最北部に蓋馬(ケイマ)高台という高原地帯があり、

 そこに蓋馬市があるのでこの辺り以外にはは考えられない。

 鉅燕(きょエン)とは戦国時代中国の大国・燕のことで、

 秦の始皇帝にB.C.E.222年に統一されて独立を失った地域。

 鴨緑江以北の遼東から東北区にまたがっていた。

 その鉅燕(きょエン)の南に蓋国があるというのだから、

 この2つの国の位置関係は正確で、

 やはり蓋国が朝鮮半島にある国だったことは間違いない。

 ところが次の文章では、その蓋国は「倭の北に在る」という。

 卑弥呼時代の朝鮮半島をみると

 蓋馬高台や蓋馬市のあたりは高句麗であり、

 それ以南には濊(ワイ)と韓がある。

 それなのにこの

 『山海経』は濊(ワイ)・韓を知らず、そこは倭だと書くが、

 それだけではない。

 すぐ続けて「倭は燕に属す」と書いている。

 前漢時代には燕の勢力下にあったというのだ。

 これは朝鮮王の準が漢の初めに

 燕人の衛満に騙されて国を奪われた『史記』の話を考えると、

 確かに半島は燕人の支配下に入っていたといえる。

 こうみてくると前漢末の中国人は、

 後(のち)の濊(ワイ)と韓(馬韓・辰韓・弁韓)を

 全て倭だと認識していたのである。

 また事実、私たちには、

 当時の朝鮮半島は北の高句麗から南端の狗邪韓まで

 琉球・南九州人の国だったことがわかっている。

 濊(ワイ)の発音「ワイ」もウワイの訛りとみて間違いではない。

 ※出典:加治木義博 大学講義録19:5頁

 ≪参考リンク≫

 『古代史獺祭
 『三国史記
 『三国遺事
 『三国遺事
 『電子大藏經
 『倭・倭人関連の朝鮮文献
 『朝鮮の歴史

《参考》


 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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