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『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
≪前漢当時は朝鮮半島の国々も倭だった≫
蓋国とは、朝鮮半島最北部に蓋馬(ケイマ)高台という高原地帯があり、
そこに蓋馬市があるのでこの辺り以外にはは考えられない。
鉅燕(きょエン)とは戦国時代中国の大国・燕のことで、
秦の始皇帝にB.C.E.222年に統一されて独立を失った地域。
鴨緑江以北の遼東から東北区にまたがっていた。
その鉅燕(きょエン)の南に蓋国があるというのだから、
この2つの国の位置関係は正確で、
やはり蓋国が朝鮮半島にある国だったことは間違いない。
ところが次の文章では、その蓋国は「倭の北に在る」という。
卑弥呼時代の朝鮮半島をみると
蓋馬高台や蓋馬市のあたりは高句麗であり、
それ以南には濊(ワイ)と韓がある。
それなのにこの
『山海経』は濊(ワイ)・韓を知らず、そこは倭だと書くが、
それだけではない。
すぐ続けて「倭は燕に属す」と書いている。
前漢時代には燕の勢力下にあったというのだ。
これは朝鮮王の準が漢の初めに
燕人の衛満に騙されて国を奪われた『史記』の話を考えると、
確かに半島は燕人の支配下に入っていたといえる。
こうみてくると前漢末の中国人は、
後(のち)の濊(ワイ)と韓(馬韓・辰韓・弁韓)を
全て倭だと認識していたのである。
また事実、私たちには、
当時の朝鮮半島は北の高句麗から南端の狗邪韓まで
琉球・南九州人の国だったことがわかっている。
濊(ワイ)の発音「ワイ」もウワイの訛りとみて間違いではない。
※出典:加治木義博 大学講義録19:5頁
≪参考リンク≫
『古代史獺祭』
『三国史記』
『三国遺事』
『三国遺事』
『電子大藏經』
『倭・倭人関連の朝鮮文献』
『朝鮮の歴史』
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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