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『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
≪建国神話は実は邪馬壹国誕生譚≫
脱解王伝承も全く同じであって、
卵が流れついた国の側から書かれている。
ただこの方は、その前の経過を簡単だが説明してあり、
その出身が九州の多婆那国王の王子であると明示されていた。
すでにお気づきかと思うが、脚色は変わっているが、
どちらも大きな卵から生まれ、
他人に養われて堂々たる好青年になり王位につく。
これは本来同じ話が分裂したのであって、
同時代に、これだけ類似した事件が偶然重ねて起こることはあり得ない。
二つの真相を隠した説話を、
それぞれ適当に二人の王に配分して王統を組み立てたのである。
だから脱解の方は新羅到着前が詳しく、
赫居世の方はそれを全く欠いている。
これを正しく並べ直すとすれば、
脱解王の分を先に、赫居世の分をうしろに重ねて接ぐと、
やや一人前の話に近づくのである。
そうすると初めて、
倭国の東北千里にある多婆那国(種子島)から流された王子が、
黒潮の流れに運ばれて北へ流れ、
阿珍浦に着いて好青年に育てられ、
先住民の王女と結婚して王統の祖になったという、常識的な話になる。
この王は邪久(ジャク・ヤク・ジキュウ)という名をもっている。
これらは屋久島と、
その元の地名「琉球(リキュウ)」の鹿児島発音である。
その琉球の朝鮮発音は位宮(イキュウ)で、
卑弥呼の死後、邪馬壹国の支配者になった人物の名乗りである。
その前後の事情が『ジンム』で詳しくお話ししたように、
神武天皇であり垂仁天皇にもなっている
『倭人伝』の伊支馬にピッタリ合うのである。
[新羅本紀]は始祖王・赫居世を男性として扱っているので、
本来「居世=壹與」で女性であるはずの人物と、
この伊支馬が混線してしまっているが、
鹿児島神宮の祭神は彦火火出見尊で、
やはり種子島から隼人に攻め上った山幸彦でもある。
するとその陵である
高屋(たかや)山上陵と
高耶(たかや)村と
脱解(たかい)とは同じ名に対する
3種類の当て字であることが、
疑いなく明瞭にみてとれるのである。
※出典:KOFUN・166頁
≪参考リンク≫
『古代史獺祭』
『堀貞雄の古代史・探訪館』
『三国史記』
『三国遺事』
『三国遺事』
『電子大藏經』
『倭・倭人関連の朝鮮文献』
『朝鮮の歴史』
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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