Matのジオログ
『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
≪ウバイド人が間違いなく周代の中国に居た完全立証≫
周人がウバイド人を知っていたこと、
それはわざと倭人と書いているが、
その実体は殷人と同じ人々だったことが確認でき、
間違いなく周代の中国に居たことが完全に立証されたのである。
その記録が『論衝』という後世の文書にしか載っていないことで、
頭からデタラメだときめつけて、
それが知性ある行為だと錯覚している自称評論家などもいるが、
そんな連中が人類の進歩を妨げる敵だということは、
この例でよくお判りになったと思う。
そんな連中が懐疑派などと呼ばれて
インテリだとされた時代も確かにあったが、
私たちはすでに、
ずっと高い知性をもった時代に生きているのである。
では周朝が倭人と呼んだ人々は、その後どうなったのか?…。
それが殷入と同じ人たちだと判ると、
殷の最後の皇帝・紂王が滅ぼされたあと、
その兄の箕子(きし)が朝鮮半島に移って
今の平壌に都・王険をつくり、
箕子朝鮮をたてたが、その子孫の準王は、
B.C.E.3世紀に、難民の衛満に騙されて朝鮮を奪われ
海を渡って韓地へ逃げたことを本講でも検討した。
朝鮮の位置と範囲は時代によって、いろいろ変動はあったが、
その位置は今の半島以外ではありえない。
すると、そこから海を渡って逃げ込める韓地とは、
どこのことだったか迷うような問題ではなかったのだった。
※出典:大学院講義録32・23頁
≪参考リンク≫
『古代史獺祭』
『三国史記』
『三国遺事』
『三国遺事』
『電子大藏經』
『倭・倭人関連の朝鮮文献』
『朝鮮の歴史』
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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