2014年10月5日日曜日

第三代・儒理尼師今(1)

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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 ≪第三代 儒理尼師今(在位 24年-57年)≫

 『三国史記』新羅本紀

 (原文)

 儒理尼師今立。南解太子也。母雲帝夫人。

 妃日知葛文王之女也(或云妃姓朴。許婁王之女)。

 初、南解薨。

 儒理當立、以大輔脱解、素有徳望、推譲其位。

 脱解曰:神器大寶、非庸人所堪。

 吾聞聖智人多歯。試以餠。

 筮之。

 儒理歯理多。乃與左右奉立之。

 號尼師今。

 古傳如此。

 金大門則云:尼師今方言也。謂歯理。

 昔南解将死、謂男儒理。壻脱解曰:

 吾死後 汝朴昔二姓、以年長而嗣位焉。

 其後、金姓亦與。

 三姓以歯長相嗣、故稱尼師今。

 (訳文)

 儒理尼師今が立つ。南解の太子なり。母は雲帝夫人。

 妃は日知葛文王の娘(あるいは妃の姓は朴。許婁王の娘ともいう)。

 初め、南解が薨じた。

 儒理が立つにあたって、大輔の脱解は平素より徳望があり、

 推薦して王位を禅譲した。

 脱解が曰く「神器大宝は凡庸なる人物の堪える所に非ず。

 吾は聖や賢人には歯が多いと聞きました。餅(もち)で試しましょう」。

 これを筮竹で占う。

 儒理の歯並びは多かったので、左右の重臣と謹んで彼を擁立した。

 号は尼師今。

 古伝はこのように言う。

 金大門則云:尼師今は方言で、歯並びをいう。

 昔、南解が死に際して、長男の儒理と娘婿の脱解に曰く

 「吾の死後、汝ら朴と昔の二姓は、年長者をして嗣位せよ」。

 その後、金姓もまた勃興。

 三姓は多歯と年長が相互に嗣位した、故に尼師今と称す。

 ※「餅」

 中国の餅は日本の餅とは異なり、形質はピザに近い。

 中国では今でも「中秋の名月」の日に月餅(げっぺい)を食べるが、

 これは日本で言う饅頭(まんじゅう)である。

 また、中国の煎餅(せんべい)はクレープ状で、

 敢えて言えば「もんじゃ焼き」に似ている。

 従って、上記で歯型を調べるために咬む餅は、

 日本の餅とは別物である。

 ※出典:新羅の歴史

 ≪参考リンク≫

 『古代史獺祭
 『三国史記
 『三国遺事
 『三国遺事
 『電子大藏經
 『倭・倭人関連の朝鮮文献
 『朝鮮の歴史

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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