2014年10月8日水曜日

尼師今(9)

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 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 ≪新羅で後世まで使われた爾支とその正体≫

 同じ西の名をもつのは沖縄の西表島と種子島の西之表市である。

 文字は同じでも発音が違う。

 西表は「イリオモテ」だが、

 西之表は「ニシノオモテ」である。

 この表=オモテは玄関口を意味する。

 支配者たちが「イリ」「ニシ」という称号を、

 名乗りの中にもっても不思議ではない。

 古来、一日本人はそうした方位名を地名にする習慣の持ち主だった。

 国名に四神の色の名を使った

 「青(オオ)=倭(オオ)=東、

  白=新羅=西、

  赤=水(アカ)=海神国(ポセイドン)=百済=南、

  黒=高麗(クレ)・韓(カラ)=北」は、

 色の名がギリシャ語の発音通りだから、

 ギリシャ人の習慣だとわかるが、

 爾支は実はインド語であって、単なる方位名だけではない。

 これに似た遺物から見てみよう。

 応神天皇の都は「軽」という名だから、

 その宮城は「軽城(き)」。

 すると、その当て字の元になった発音は「カルキ」で、

 その当て字が鹿児城(カルキ)→麑(ゲイ)城→鹿児島と

 変わった可能性が強い。

 これはシンドゥ教の最高神ビシュヌーの武神としての

 異名「 kalki =カルキ」で、

 応神天皇が武神=八幡大菩薩とされる謎を解くカギはこれ以外にはない。

 このカルキは称号をもっていて「Nishkalanka =ニシカランカ」という。

 爾支・韓ン神(カン)と読めるが、韓=カラも黒で北。

 そしてこの名は「西の国=新羅」で王称として永く使われていた。

 『三国史記』新羅本紀の3~18代までの王が皆

 「尼師今=ニシキン=西君=西王=爾支」を名乗ったのである。
 
 ※出典:大学講義録16・11頁

 ≪参考リンク≫

 『古代史獺祭
 『三国史記
 『三国遺事
 『三国遺事
 『電子大藏經
 『倭・倭人関連の朝鮮文献
 『朝鮮の歴史

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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