2014年10月13日月曜日

始林~鶏林~知林


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 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 ≪始林~鶏林~知林≫

 種子ガ島の「辰韓」が「タツカラ」から「タカラ」になり、

 「高良」から「高麗」「高句麗」へと発展していったことは

 前の方で見て戴いた。

 そして今、今度は同じ種子ガ島の「辰韓」が

 「大隅」から北上して「白日」「斯盧」「新羅」と

 発展していったのを見て戴いた。

 次は朝鮮の正史『三国史記』が証明する

 南九州発祥の遺跡をこ紹介しよう。

 先に天智天皇の名乗りに一致する名の山と神社のお話をした。

 開聞岳と枚聞神社であった。

 それがどこにあるかをご記憶の方の中には、

 少し不審に思った方があると思う。

 なぜならそれは大隅半島ではなくて、薩摩半島にあったからである。

 ところが『三国史記』は

 薩摩半島に一番重要な地名があることを記録していたのである。

 「新羅本紀」第一の第四代『脱解・尼師今

 (尼師今は王と同じ意味の称号)。

 脱解は<タツカヤ>または<タカヤ>、<タケ>への当て字とも考えられる。

 脱解の九年に王は「始林」というところで子供を拾った。
 
 「金閼智」という名をつけたが、

 この子供は後世、王家の血統が絶えたとき、その子孫が王になった。

 金氏王朝の始祖である。

 脱解王は、

 鶏の鳴き声で子供が見つかったのを記念して

 始林を鶏林という名に改め、当時の国名「徐耶伐」を改めて、

 その「鶏林」を国号にした。

 「鶏林」の読み方を考えて見よう。

 普通の日本式漢音では「ケイリン」である。

 しかしこの王朝の人々は沖縄人だから、

 沖縄発音で読まなければ当時の本当の名は分らない。

 「ケイ」という発音は沖縄語にはないから「キ」に変るが、

 「キ」は普通「チ」と発音するから「鶏林=<チ>林」である。

 すると薩摩半島の指宿市にそれと同じ名の島がある。

 「知林ガ島」(約600×800m)がそれである。

 島といっても奈良・橿原市の畝傍(ウネビ)山に

 よく似た形(等辺のない三角定親(長い方)の形に近い)の

 魚見岳という半島と約1.5キロ程の砂洲でつながり、

 ほとんどは陸続きである。

 しかし名は一致してもそんな小島が国であったとは思えない。

 それは王の墓か、鶏林国の所有する島か、国のシンボルかであって、

 どこか他に本当の「鶏林国」がなければならない。

 それは小国時代の当時を考えると、

 やはり薩摩半島の中になければならない。

 捜してみよう。

 ※出典:邪馬壹国大移動・112頁

 ≪参考リンク≫

 『古代史獺祭
 『堀貞雄の古代史・探訪館
 『三国史記
 『三国遺事
 『三国遺事
 『電子大藏經
 『倭・倭人関連の朝鮮文献
 『朝鮮の歴史

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 


 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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