2014年10月4日土曜日

南解王(2)

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 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 ≪朝鮮語のない邪馬臺の名詞≫

 これで一応、邪馬臺王朝の上層部の様子がほぼ判明した。

 ここで、ふり返ってみると一つ非常に奇異の感にうたれるものがある。

 それは、これだけの量の名詞を扱いながら、

 朝鮮語を語源とするものが一つも存在しないという事実である。

 たまたま<牛>を<ソ>ということを使おうとした説があっても、

 それは崩れて成立しなかったし、

 <居西干>へ、<尼師今>という古新羅の王称も、

 はっきりと沖縄起源であることが証拠立てられてしまった。

 これは戦後、

 定説化してきた日本人や日本文化が、

 朝鮮出自や朝鮮経由だという、

 半ば常識化しかかっているものと、

 全く相いれない。

 たとえ三韓が九州起源であろうと、

 半島は隣国であり、

 もっと交流があってもよいように思えるのに、

 これは一体なぜであろうか。

 もし、

 従来の説が正しくて日本人が朝鮮に負うところが多かったのなら、

 それは必らず言語の上に影響を及ばしているはずである。

 次は古い時代の朝鮮語と日本語との関係を少しみてみることにしたい。

 まず、いまの<居西干>という王称から話を始めよう。

 これは「三国遺事」に次のような別の呼び方が幾つもあげてある。

 紀異巻第一のうち

  新羅始祖、赫居世王。

  第二、南解王。

  第三、弩礼王。

  第四、脱解王

  の中から拾い出したものである。

 ( )内の左は朝鮮語、

 中は従来の日本式、

 右は筆者がつけた読み方である。

 1 居西千(カサハン) (キョセイカン)(イシカン←イニシカン)

 2 居瑟邯(カツハン) (キョヒツカン)(イシカン)

 3 尼叱今(ニャサクム)(ニシコン)  (イシカン)

 4 歯叱今(イサクム) (シシコン)  (イシカン)

 5 居世千(カヌイハン)(キョセイカン)(イシカン)

 このうち、

 3に対する筆者の読み方は不自然に思われたと思う。

 <尼>を<イ>と読む根拠がお判りにならないであろう。

 これは第二、

 南解王中に、

 あるいは云うとして

 「尼<師>今というのは歯の筋のことである。

  聖人は歯が多いというから古伝によると

  餅をかんで歯の型を調べた」

 という意味のことが書いてある。

 さらに第三、

 弩礼王中でも同じ意味の記事があり、

 王は歯が多いから「因って<尼叱今>と名づく」と、

 この称号が弩礼王から始まった理由を説明している。

 そして第四、脱解王には脱解<歯叱今>。

 一に吐解<尼師今>に作る。

 と書き、

 その埋葬に当って骨をみると、

 身長九尺七寸、歯は凝(こ)って一つのようであった。

 とその特徴を特記している。

 これらの新羅王記事は、

 すべて<尼>と<歯>が同じ発音であったことを物語っている。

 発音が異っていたら必ずその説明があるはずなのに、

 全く考慮の外にあるということは、

 同じ音だから<尼>でも<歯>でもよい。

 という説明にもなっているからである。

 今も歯は朝鮮語で<イ>と発音する。

 日本でも古くは<イ>といった。

 <イガム>というのは獣が互いに歯(イ)でかみ合うことであり、

 これから派生した<シガミ>というシカメッ面の彫り物名も、

 歯(シ)噛みと変音したとすべきである。

 歯(は)むかうことを<イムカウ>ともいう。

 こうしたことを考え合わせると、

 私たちが「<イキ>が臭(くさ)い」という

 <イキ>は「歯気(イキ)」であったと考えることができる。

 また、子供に歯を見せるようにという時、

 「イー」または「イーしなさい」という。

 これは歯をむき出すことを「イー」卜ということと合わせて、

 昔、歯が<イ>という名をもっていた名残りと考えてよい。

 これで五つの王称は本来同じことばに対する当て字だけの変型で、

 発音は一つでなければならないものであることが、

 おわかり戴けたと思う。

 これも頭から現代の朝鮮語で読めと強制するのは、

 余りにも無知なのである。

 こうしたものは一見しただけで、

 同一音に対する用字だけの問題と見抜けるからである。

 従来の日本式漢音の方が、

 まだ同一のものがあるだけ、ましであるが、

 しかしこれからは真相は出てこない。


 「読み方の法則」が先でなく、

 事実が先にあって、

 それに合う読み方を復原することが必要なのである。

 ※出典:加治木義博・邪馬臺国の言葉102~103頁

 ≪参考リンク≫

 『古代史獺祭
 『三国史記
 『三国遺事
 『三国遺事
 『電子大藏經
 『倭・倭人関連の朝鮮文献
 『朝鮮の歴史

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 

 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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