2014年10月2日木曜日

箕子朝鮮・衛氏朝鮮(6)

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 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 ≪ウバイド人が間違いなく周代の中国に居た完全立証≫

 周人がウバイド人を知っていたこと、

 それはわざと倭人と書いているが、
 
 その実体は殷人と同じ人々だったことが確認でき、

 間違いなく周代の中国に居たことが完全に立証されたのである。

 その記録が『論衝』という後世の文書にしか載っていないことで、

 頭からデタラメだときめつけて、

 それが知性ある行為だと錯覚している自称評論家などもいるが、

 そんな連中が人類の進歩を妨げる敵だということは、

 この例でよくお判りになったと思う。

 そんな連中が懐疑派などと呼ばれて

 インテリだとされた時代も確かにあったが、

 私たちはすでに、

 ずっと高い知性をもった時代に生きているのである。

 では周朝が倭人と呼んだ人々は、その後どうなったのか?…。

 それが殷入と同じ人たちだと判ると、

 殷の最後の皇帝・紂王が滅ぼされたあと、

 その兄の箕子(きし)が朝鮮半島に移って

 今の平壌に都・王険をつくり、

 箕子朝鮮をたてたが、その子孫の準王は、

 B.C.E.3世紀に、難民の衛満に騙されて朝鮮を奪われ

 海を渡って韓地へ逃げたことを本講でも検討した。

 朝鮮の位置と範囲は時代によって、いろいろ変動はあったが、

 その位置は今の半島以外ではありえない。

 すると、そこから海を渡って逃げ込める韓地とは、

 どこのことだったか迷うような問題ではなかったのだった。

 ※出典:大学院講義録32・23頁

 ≪参考リンク≫

 『古代史獺祭
 『三国史記
 『三国遺事
 『三国遺事
 『電子大藏經
 『倭・倭人関連の朝鮮文献
 『朝鮮の歴史

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 

 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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