2014年10月8日水曜日

尼師今(8)

 浦和レッズレディース
 Matのジオログ
 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 ≪金波鎮漢紀(こんはちんき)・武の謎解き≫

 こうしたことがわかった目でみると、

 その「金波鎮漢紀(こんはちんかんき)・武」という

 「名乗り」の意味が、

 初めて非常に鮮明に読みとれる。

 この名乗りの一部分が第11のキーである。

 まず「波鎮漢」は新羅の官位の名である。

 『三国史記』[新羅本紀]には第3代の王・儒理(ジュリ)尼師今が、

 初めて新羅政府の官吏制度をきめた中の、

 四等官に「波珍飡」という称号がある。

 これは『日本書紀』に「波珍干(かん)

 ([神功皇后紀]=微叱己知・波珍干・岐)」というふうに、

 少し文字が違うだけで、同じ発音の官名として登場する。

 この新羅の官名は、

 漢字で書かれていることでわかるように、

 中国の官吏制度を参考にして作られたものだから、

 当時の中国の官名とくらべてみると意味がよくわかる。

 『魏書倭人章』の「塞曹掾史(さくそうえんし)・張政」の

 「塞」は「砦(とりで)」のことではなくて、「塞族」のことである。

 ギリシャ人がスキュタイと呼んだ人々は、

 当時までの中国の周辺勢力として、

 歴代中国政権の悩みのタネだった。

 「曹(そう)」はそれを担当しているという意味。

 「掾史(えんし)」は下役のこと。

 張政は帯方郡外務部のサカ族課長ぐらいのところである。

 当時の倭国がサカ族を含んでいたから彼が派遣されてきたので、

 サカ族は「釋迦(シャカ)族」だから、

 彼が仏教徒の倭(ウワイ)人を担当していたのは当然のことだった。

 「金・波鎮漢」の金もその「塞」と同じく、

 彼が担当している相手の国を示している。

 これは朝鮮訛りでは「ソク」である。

 それがなぜ、

 全然関係のなさそうな「カン」という発音として

 使われているのであろうか?

 今の外務省北米局といったものである。

 では「金」とはどこの国なのだろう?

 それは発音でわかる。

 当時の中国の漢魏音では「キン」。

 南中国発音では「コム」だった。

 国名なのだから「コム」とは

 「高麗(コマ)」の訛りであるとすれば一番わかりやすい。

 『記・紀』をみると高句麗のことを全部「高麗」と書いてある。

 またその高句麗の一族が、

 今の中国東北区(満州)地域に「金(キン)」という国を

 1115年に作って、それが後の中国「郡」政権になった。

 その「チン」も「沖縄語ではキをチと発音する」

 ということを知っていれば、

 もともと「キン」と同じものだということはすぐわかる。

 ここで、ついでに新羅の官名にある

 「飡」という字をなんと発音するかお話ししておこう。

 これは従来「ソニ」とか「ソク」などと発音しているが、

 ここに挙げた3つを比較してみると

 「波鎮漢」=「波珍干」=「波珍飡」という公式ができあがる。

 「金・波鎮漢」の金もその「塞」と同じく、

 彼が担当している相手の国を示している。

 これは朝鮮訛りでは「ソク」である。

 誰がみてもこの言葉の発音は疑いの余地もなく

 「ハチンカン」でなければならない。

 しかし「飡」という字は特殊な文字で、

 漢音では「食」と同じ「ショク」としか読めない。

 「食」はいうまでもなく、ものを食べることである。

 新羅が最初、邪馬壹国として誕生したのは鹿児島県だったことは、

 このシリーズで詳しく立証ずみで、

 もう疑問の余地はないが、その鹿児島の言葉では、

 その「食べる」を「カン」と発音するのである。

 これは「噛む」の鹿児島訛りだが、

 「食」の字では違った意味に取られて不都合なので、

 二水(にすい)のついた「飡」の字を選んだとみると謎はなくなる。

 新羅が鹿児島で生まれた邪馬壹国だったことに疑問のある方は、

 『ヒミコ』以下の本シリーズをお読みになっていただけば、

 よくおわかりいただけると思う。

 この官名によって、

 彼が「高麗」担当の新羅の四等官として、

 それを名乗ったことがわかる。

 では後に残った「岐」と「武」は、何のことなのだろう?

 これは一字ずつ別に読むのであろうか?

 二字で一つの名なのだろうか?

 それとも二字で姓と名なのだろうか?

 また「武」というのは単なる名なのだろうか?

 それとももっとちがった意味があるのだろうか?

 ※出典:WAJIN・113~115頁

 ≪参考リンク≫

 『古代史獺祭
 『三国史記
 『三国遺事
 『三国遺事
 『電子大藏經
 『倭・倭人関連の朝鮮文献
 『朝鮮の歴史

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

0 件のコメント:

コメントを投稿