2014年10月8日水曜日

尼師今(10)

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 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 ≪伊耶那岐命だという証明をもつ垂仁天皇≫

 『古事記』の伊耶那美が、

 木花佐久夜毘売・豊玉昆売・抄本毘売だったから、

 伊耶那岐は、その夫の

 ① 邇邇芸(ニニギ)命    「木花佐久夜毘売」

 ② 日子穂穂出見命=火遠理命 「豊玉昆売」

 ③ 垂仁天皇=位宮      「抄本毘売」

 もともと一人の位宮だったこの人の名乗りが、

 どう書かれているか見てみよう。

 ① 天津日高日子 

   番能(ホの)邇邇芸(ニニギの)命

   (萬幡豊秋津師比売命生子 天火明命、次子邇邇芸…)

 ② 天津日高日子 

   穂穂出(手)見命

   (火照・火須勢理・火遠理=火闌降・火々出見・火明)

 ③ 伊久米 伊理毘古 伊佐知命

   (高句麗 山上王 延優・一名 位宮)

 ①②は前半は全く同じである。

 ①の番はホと読むから穂と同じ。

 ②の出は南九州語で「ヅ」と発音するから「津」と同じ、

  津は助詞のノだから①の「能」と同じ。

 ①の芸は清音ケだから②の見(ケン)は「芸ン=ケン」で①と同じ。

  この名はポセイドンへの当て字だとわかっているから、

  その当て字が読めずに変化して、2つに分裂した跡を残している。

 ③は彼の後期の名乗りだから一致するはずがないが、伊久は位宮。

  伊理は沖縄語のイリ=西で、

  伊都国の支配者・爾支や新羅王の名乗り

  「尼師今=ニシキン=西君=爾支王」だが、

  今ここで重要なのは伊佐知命である。

  伊佐知の知は沖縄語のチだから「木(キ)・岐(キ)」。

  伊佐岐命は「伊佐(イサ)ナ岐(キ)命」そのものである。

  最も現実的な天皇名に最古の名乗りが実在しているのだ。

 ※出典:大学講義録29・9頁

 ≪参考リンク≫

 『古代史獺祭
 『三国史記
 『三国遺事
 『三国遺事
 『電子大藏經
 『倭・倭人関連の朝鮮文献
 『朝鮮の歴史

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 
 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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