2014年10月14日火曜日

タバナ国とタチバナ


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 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 ≪タバナ国とタチバナ≫

 多婆那にも同様に何カ所もの候補地がある。

 観光地で有名な鹿児島県最南端の与論島の首府は茶花(ちゃばな)である。

 沖縄本島からはたしかに東北の位置にある。

 <タバナ>はまた、

 さきにもいったが<バ>と<マ>は馬の字の二音のように、

 日本では方言によって使いわけられている、

 タマナに変化する名でもある。

 熊本市の西北に「玉名」があるが、

 これは熊本を倭国としても位置関係が合わないし、

 新羅の候補地である白日別の国、福岡県へは陸続きであって、

 卵を流す海の話にも合わない。

 赫居世時代が鹿児島時代とすると、

 この玉名と茶花との間にもうひとつ以上の

 多婆那国候補地があるはずである。

 それはやや複雑だが解けない謎ではなかった。

 手がかりがたくさんあるからである。

 沖縄と茶花の関係を考えると、

 もうひとつの邪久は屋久島であったから、

 その東北千里にある島といえば種子島(たねがしま)である。

 ここには南種子町に宝満(ほうまん)の池という伝説地があり、

 海幸山幸の話に出てくる豊玉姫、玉依姫、

 その父の豊玉彦といずれも玉の名をもっている。

 国称には支那、ウチナ(沖縄)、任那(ミマナ)のように

 語尾に<ナ>のくるものがあり、

 倭人伝中には奴のつく国が十カ国ちかくある。

 これらの語尾は国を意味する<ナ>であるとみると、

 玉那が玉の名をもったこの島は、玉那であった可能性が強い。

 宝満の池の名も、豊(ホウ)と宝(ホウ)。

 宝(タカラ)の頭音<タ>と、

 満の頭音<マ>で<タマ>となる名で豊玉国と密接につながっている。


 種子島は古くは多執と書かれた。

 これは<タジ>と読めるから、

 二郎と書いてジローと読むようにタニとも発音されて、

 種または種子の字が当てられた。

 だから古くは国称のマをつけるとタジマで、

 田島守の田島や但馬、多遅馬は、

 この島の名から出ていると考えていい。

 これにさらに後世またナという国称をつけたと見られるのは

 橘という名が現れることで類推できる。

 なぜならタチバナは多遅馬那で結局、

 種子島から出た名ということになる。

 多遅馬那は当然沖縄県の発音であるから

 <チ>は<津>の意味として取り去ると<タバナ>が残る。

 また茶花や、沖縄本土の地名「知花」を重視すると、

 多チバナで、多(おお)の国のチバナの意味にもとれる。

 いずれをとってみても多婆那国の資格は充分である。

 脱解王は倭国の東北千里、すなわち茶花から玉名までのどれをとっても、

 日本列島中の九州出身だったことは間違いない。

 その中で特に濃厚なのが、この種子島ということになる。

 <三つの多婆那国>

 ① 与論島茶花

 ② 種子島と屋久島

 ③ 熊本県玉名郡と玉名市

 ※出典:KOFUN・162~163頁

 ≪参考リンク≫

 『古代史獺祭
 『堀貞雄の古代史・探訪館
 『三国史記
 『三国遺事
 『三国遺事
 『電子大藏經
 『倭・倭人関連の朝鮮文献
 『朝鮮の歴史

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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