2014年10月21日火曜日

『三国遺事』五伽耶


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 三國遺事 (卷1) 紀異卷第一 五伽耶

  『三国遺事』五伽耶

 (原文) 

 五伽耶

 阿羅(一作耶)伽耶(今咸安)

 古寧伽耶(今咸寧)

 大伽耶(今高靈)

 星山伽耶(今京山玄)

 碧珍小伽耶(今固城)又本朝史略云。

 (訳文)

 五伽耶とは、

 阿羅(阿耶)伽耶(今の咸安)、

 古寧伽耶(今の咸寧)、

 大伽耶(今の高霊)、

 星山伽耶(今の京山玄)、

 碧珍小伽耶(今の固城)である。

 (原文)

 按駕洛記贊云、垂一紫纓、

 下六圓卵。

 五歸各邑、一在茲城則一為首露王。

 餘五各為五伽耶之主。

 金官不入五數當矣。

 而本朝史略、

 並數金官而濫記昌寧誤。

 (訳文)

 思うに駕洛記贊にいう、一条の紫色の房が天上から垂れ、

 その下に六個の卵が包まれていた。

 五個は各邑が持ち帰り、

 一個は茲城に在り、首露王となる。

 その余の五個も各々が五伽耶の主となった。

 金官は五(伽耶)の数には入れない。

 しかし、本朝史略は金官をも数に入れるが、

 むやみに昌寧(高霊)を記すのは誤りである。

 (原文)

 又本朝史略云、太祖天福五年庚子改五伽耶名。

 一金官(為金海府)、

 二古寧(為加利縣)、

 三非大(今昌寧恐高靈之訛)、

 餘二阿羅星山

 (同前星山或作碧珍伽耶)

 (訳文)

 また、本朝史略には太祖の天福五年庚子に五伽耶の名を改めたという。

 一に金官(金海府)、

 二に古寧(加利県)、

 三に非大(今の昌寧恐高霊の訛)、

 その余の二国は阿羅星山(前と同じ星山、あるいは碧珍伽耶とも)である。

 ※慶尚南道の金海の亀旨峰(キシフル)に降臨した首露王ら六人の子が、

  そこに加耶六国(駕洛国)を建国したとされるが、

  六加耶とは

  「金官国、阿羅加耶、古寧加耶、大加耶、星山加耶、小加耶」をいい、

  金官国を数に入れないのが『五加耶』ということである。

 ※『倭と加耶の交流』国立歴史民俗博物館

  日本列島に国家が形成され、

  文明化が進行する三~七世紀において

  倭国が最も深い関係をもったのは、

  朝鮮半島南部の加耶を中心とする地域であった。

  弥生時代から古墳時代の前半期において

  日本列島で用いられた鉄資源の主たる供給地は加耶であり、

  また、五世紀以降、急速に流入した騎馬文化、鉄器生産技術、

  製陶技術などは

  直接的にはいずれもこの地域からもたらされたものである

  (2002年シンポジュウムより抜粋)。

 ※出典:新羅の歴史

 ≪参考リンク≫

 『古代史獺祭
 『三国史記
 『三国遺事
 『三国遺事
 『電子大藏經
 『倭・倭人関連の朝鮮文献
 『朝鮮の歴史

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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