2014年10月10日金曜日

第四代・脱解尼師今(2)

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 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》
 
 『三国史記』新羅本紀

 ≪第四代 脱解尼師今(在位 57年-80年)≫

 (原文)

 至南解王五年、

 聞其賢、以其女妻之。

 至七年、登庸為大輔、委以政事。

 儒理将死曰「先王顧命曰

 [吾死後、無論子壻。

 以年長且賢者、継位]。

 是以寡人先立。

 今也宜伝其位焉」。

 (訳文)

 南解王の治世五年(8年)、

 彼が賢人であるとの噂を聞き、娘を彼の妻にした。

 治世七年(10年)には大輔に登用して、政事を委ねた。

 儒理が死に際して「先王は遺命に曰く

 [私の死後、無論息子や娘婿を問わず、

 年長の賢者を以て王位を継がせよ]。


 これを以て私が先に立ったが、

 今度は宜しく(脱解に)王位を相伝する」。

 (原文)

 二年春正月、拜瓠公為大輔。

 二月、親祀始祖廟。

 (訳文)

 二年(58年)春正月、瓠公に大輔を拝命。

 二月、自ら始祖廟で祭祀。

 ※「瓠公」

  赫居世治世三十八年(前20年)条に

  「瓠公は、その族と姓は未詳。本は倭人。

  初めは腰に瓢箪をぶらさげて海を渡って来たことから、

  瓠公と称される」とある。

  だが、中国の宰相にあたる「大輔」の官職に任命するほどの

  人物の「族と姓は未詳」というのは怪しい。

  瓠公は唐突に赫居世の治世三十八年条に登場するが、


  その翌年には脱解が辰韓に漂着したというのに

  全く記述がない。

  そして、瓠公は78年後に大輔に任命されるが、

  彼は何歳なのだろう。

  少なく見積もっても九十歳は超えているはず。

  赫居世も脱解も「卵から生まれ」ており、

  脱解は

  「倭国の東北一千里、多婆那国で誕生」したとあり、

  脱解も瓠公も倭人である。

  おそらく「赫居世、脱解、瓠公」の三人は

  同一人物である可能性が高い。

  それ故に、第二代の南解は脱解に禅譲したいと言い、

  実際は第三代の儒理が脱解に禅譲するのだろう。

  ここから、南解と儒理は脱解が強引な易姓革命ではなく、

  徳によって禅譲を受けたという美談にするために


  創作された架空の人物ではないかと筆者は考える。


 (原文)

 三年春三月、

 王登吐含山、有玄雲如蓋、

 浮王頭上、良久而散。

 夏五月、與倭國結好交聘。

 (訳文)

 三年(59年)春三月、

 王が吐含山に登ると、黒い雲が蓋のように王の頭上に現れ、

 しばらくして霧散した。

 夏五月、倭国と通好を結び、交互に使節を往来させる。

 ※「倭国」

  上記の倭国が、倭国のどの国なのかは不明だが、

  後漢書の記録によれば、

  倭の奴国が前漢王朝に朝貢しているので奴国、

  あるいは故郷の多婆那国かもしれない。


 出典:堀貞雄の古代史・探訪館



 ≪参考リンク≫

 『古代史獺祭
 『堀貞雄の古代史・探訪館
 『三国史記
 『三国遺事
 『三国遺事
 『電子大藏經
 『倭・倭人関連の朝鮮文献
 『朝鮮の歴史

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)  
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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