2014年10月20日月曜日

第五代・婆娑尼師今(2)


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 三國史記 卷第一 新羅本紀第一 婆娑尼師今

 第五代 婆娑尼師今(在位 80年-112年)

 第五代・婆娑尼師今(2)

 『三国志魏書』弁辰伝

  弁辰もまた十二国、また諸々の小さな別邑があり、

  各自に渠帥(首領)がおり、大首領は臣智と言い、

  その次に險側、次に樊?、次に殺奚、次に邑借がいる。

 (弁辰に)彌離彌凍国、接塗国、古資彌凍国、古淳是国、

   半路国、樂奴国、彌烏邪馬国、甘路国、狗邪国、走漕馬国、

   安邪国(馬延国)、斯盧国がある。

 (辰韓に)已柢国、不斯国、勤耆国、難彌離彌凍国、冉奚国、

   軍彌国(弁軍彌国)、如湛国、戸路国、州鮮国(馬延国)、

   斯盧国、優由国がある。

 上記の金海の狗邪国が「金官国」、

 高霊の彌烏邪馬国が「大加耶」と改称する。

 また、三国史記が言う新羅とは「斯盧国」のことである。

 「六伽耶」

  上記の弁韓十二国が同盟組織を形成し、

  四世紀から五世紀前半、洛東江下流の金海地域の「金官国」を

  盟主とする連盟体制『五加耶(もしくは六加耶)』が

  成立(前期加耶)。

  また、五世紀後半からは洛東江西側の高霊地域の

  「大加耶」を盟主とする連盟体制が成立(後期加耶)したが、

  百済や新羅に侵食されて弱体化し、

  日本書記では「任那(加耶)で、

  倭国、百済、加耶が復興を協議した」とあるが、

  新羅によって562年に滅ぼされる。

 ※出典:新羅の歴史

 ≪参考リンク≫

 『古代史獺祭
 『三国史記
 『三国遺事
 『三国遺事
 『電子大藏經
 『倭・倭人関連の朝鮮文献
 『朝鮮の歴史

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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