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『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
第十代 奈解尼師今(在位196年-230年)
(原文)
二十三年秋七月、武庫兵物自出。
百濟人来圍山城、王親率兵出撃走之。
二十五年春三月、伊伐利音卒、以忠萱爲伊伐、兼知兵馬事。
秋七月、大閲楊山西。
二十七年夏四月、雹傷菽麦。
南新縣人死、歴月復活。
冬十月、百濟兵入牛頭州。
伊伐飡忠萱将兵拒之、至熊谷、為賊所敗、
單騎而返、
貶為鎮主。
以連珍為伊伐飡、兼知兵馬事。
二十九年秋七月、伊伐飡連珍與百濟戦烽山下、破之、
殺獲一千余級。
八月、築烽山城。
三十一年春、不雨、至秋七月、乃雨。
民飢、發倉廩賑給。
冬十月、録内外獄囚、輕罪。
三十二年春二月、巡狩西南郡邑。
三月、還。拜波珍、康萱爲伊。
三十四年夏四月、蛇鳴南庫三日。
秋九月、地震。
冬十月、大雪。深五尺。
三十五年春三月、王薨。
(訳文)
二十三年(218年)秋七月、武器庫の兵器類が自ら出てきた。
百済人が侵入し、
獐山城(慶北慶山郡)を包囲したので
王は自ら出陣し、
百済軍を撃破・逃走させた。
二十五年(220年)春三月、伊伐飡の利音が死去したので
忠萱を伊伐飡とし、
軍事の統括を兼務させた。
秋七月、楊山(慶州市の南山)の西方で、
多くの軍隊を集めて訓練した。
二十七年(222年)夏四月、雹が降り、豆類や麦を傷つけた。
南新県の人が死んだが、
月を経て復活した。
冬十月、百済兵が牛頭州(江原道春川市)に
侵入した。
伊伐飡の忠萱が兵を率いて
これを阻むため、
熊谷まで到ったが、賊に敗退させられ、
単騎で逃げ戻った。
そのため退けられて鎮主となった。
〔これにかわって〕連珍を伊伐飡として、
軍事の統括を兼務させた。
二十九年(224年)秋七月、
伊伐飡の連珍が百済と烽山の麓で戦い、
これを撃破し、
一千余人殺したり捕らえたりした。
八月、烽山城を築いた。
三十一年(226年)春から雨が降らず、
秋七月になってようやく雨が降った。
国民が飢えたので、
穀倉を開いて施しを与えた。
冬十月、
内外の監獄に繋がれている
囚人を調べ直して、
軽犯罪者を釈放した。
三十二年(227年)春二月、
〔王〕は西南地方の郡や邑を巡幸して
各地の状況を視察した。
三月、〔王は西南地方から王都〕還った。
波珍飡の康萱を伊飡にした。
三十四年(229年)夏四月、蛇が南の倉庫で三日も鳴き続けた。
秋九月、地震があった。
冬十月、〔王都に〕大雪が降り、
五尺も積もった。
三十五年(230年)春三月、王が薨去した。
≪参考リンク≫
『古代史獺祭』
『三国史記』
『三国遺事』
『三国遺事』
『電子大藏經』
『倭・倭人関連の朝鮮文献』
『朝鮮の歴史』
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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