浦和レッズレディース
『Yahoo!天気・災害』
『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
Matのジオログ
さいたま朝日WEB
『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
『日本書紀』の朝鮮半島関連記事①
「朝鮮半島記事抜粋」
『日本書紀』における、
初代神武(じんむ)天皇から第24代仁賢(にんけん)天皇までの
記事の内、朝鮮半島との外交記事の抜粋である。
この時代の朝鮮半島は
新羅(しらぎ)、百済(くだら)、高句麗(こうくり)の3国と
伽耶(かや)諸国からなっていた。(三国時代)
『日本書紀』では
新羅は(しらき)と読み、
高句麗は高麗(こま)と表している。
加羅(から)または任那(みまな)と記されているのは、
伽耶諸国または伽耶の一部のことである。
尚、これらの記事について、
新羅、百済、高句麗、伽耶のそれぞれを区別する為に、
国名を特定出来ない韓(から)という記事は除いた。
全部で55件ある。
『日本書紀』の朝鮮半島関連記事
【01】崇神紀65年7月条:
六十五年秋七月、
任那國遣蘇那曷叱知、令朝貢也。
任那者去筑紫國、二千餘里。
北阻海以在鶏林之西南。
六十五年の秋七月、
任那国、遣蘇那曷叱知を派遣して、朝貢してきた。
任那は筑紫国を去ること、二千余里。
北、阻海を阻てて鶏林の西南に在り。
【02】垂仁紀2年是歳条:
◎是歳、任那人蘇那曷叱智請之、欲歸于國。
蓋先皇之世來朝未還歟。
故敦賞蘇那曷叱智。
仍齎赤絹一百疋、賜任那王。
然新羅人遮之於道而奪焉。
其二國之怨、始起於是時也。
【一云、御間城天皇之世、額有角人、乘一船、
泊于越國笥飯浦。
故號其處曰角鹿也。
問之曰、何國人也。
對曰、意富加羅國王之子、名都怒我阿羅斯等。
亦名曰于斯岐阿利叱智干岐。
傳聞日本國有聖皇、以歸化之。
到于穴門時、其國有人。
名伊都都比古。
謂臣曰、吾則是國王也。
除吾復無二王。故勿往他處。
然臣究見其爲人、必知非王也。
即更還之。
不知道路、留連嶋浦、自北海廻之、
經出雲國至於此間也。
是時遇天皇崩。
便留之、仕活目天皇逮于三年。
天皇問都怒我阿羅斯等曰、欲歸汝國耶。
對諮、甚望也。
天皇詔阿羅斯等曰、汝不迷道必速詣之、
遇先皇而仕歟。
是以改汝本國名、追負御間城天皇御名、便爲汝國名。
仍以赤織絹給阿羅斯等、返于本土。
故號其國謂彌摩那國、其是之縁也。
於是、阿羅斯等以所給赤絹、藏于己國郡府。
新羅人聞之、起兵至之、皆奪其赤絹。
是二國相怨之始也。
◎是歳、任那人蘇那曷叱智請さく、
「国に帰りなむ」とまうす。
蓋し先皇の世に来朝て未だ還らざるか。
故、蘇那曷叱智に敦く賞す。
仍りて赤絹一百疋を齎たせて、任那の王に賜す。
然して新羅人、道に遮へて奪ひつ。
其の二の国の怨、始めて是の時に起る。
【一に云はく、御間城天皇の世に、額に角有ひたる人、
一の船に乘りて、越の国の笥飯浦に泊れり。
故、其処を号けて角鹿と曰ふ。
問ひて、曰はく、「何の国の人ぞ」といふ。
対へて曰さく、
「意富加羅国の王の子、名は都怒我阿羅斯等。
亦の名は于斯岐阿利叱智干岐と曰ふ。
伝に日本国に聖皇有すと聞りて、帰化く。
穴門に到る時に、其国に人有り。
名は伊都都比古。
臣に謂りて曰はく、
『吾は是の国のなり。
吾を除きて復二の王無。故、往他処に往にそ』
といふ。
然れども臣、究見其の爲人見るに、
必ず王に非じといふことを知りぬ。
即ち更還りぬ。
道路を知らずして、嶋浦に留連ひつつ、
北海より廻りて、
出雲国を経て此間に至れり」まうす。
是の時に、天皇の崩りたまふに遇へり。
便ち留りて、活目天皇に仕へて三年逮りぬ。
天皇、都怒我阿羅斯等に問ひて曰はく、
「汝の国に帰らむと欲ふや。」とのたまふ。
対へて諮さく、「甚望し」とまうす。
天皇、阿羅斯等に詔せて曰はく、
「汝の道に迷はずして必ず速く詣れらましかば、
先の皇に遇ひて仕へたてまつらし。
是を以て、汝が本国の名を改めて、
追ひて御間城天皇の御名を負りて、
便ち汝が国の名にせよ」とのたまふ。
仍りて赤織の絹を以て阿羅斯等に給ひて、
本土に返しつかはす。
故、其の国を号けて彌摩那国と謂ふは、
其れが是の縁なり。
是に、阿羅斯等、給はれる赤絹を以て、
己のが国の郡府に藏む。
新羅人聞きて、兵を起して至りて、皆其の赤絹を奪ひつ。
是の二の国の相怨むる始めなりといふ。
≪参考リンク≫
『古代史獺祭』
『三国史記』
『三国遺事』
『三国遺事』
『電子大藏經』
『倭・倭人関連の朝鮮文献』
『朝鮮の歴史』
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
0 件のコメント:
コメントを投稿