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『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
第十代 奈解尼師今(在位196年-230年)
(原文)
六年春二月、加耶國請和。
三月、丁卯朔、日有食之。
大旱、録内外繋囚、原軽罪。
八年冬十月、靺鞨犯境。桃李華、人大疫。
十年春二月、拜眞忠爲一伐、以參國政。
秋七月、霜雹殺穀。
太白犯月。
八月 狐鳴金城及始祖廟庭。
十二年春正月、拜王子利音 或云奈音 爲伊伐、兼知内外兵馬事。
十三年春二月、西巡郡邑、浹旬而返。
夏四月、倭人犯境、遣伊伐利音、将兵拒之。
十四年秋七月、浦上八國、謀侵加羅。加羅王子来請救。
王命太子于老與伊伐飡利音、将六部兵、往救之。
撃殺八國将軍、奪所虜六千人。還
之。
十五年、春夏旱、發使録郡邑獄囚、除二死、餘悉原之。
十六年、春正月、拜萱堅爲伊、允宗爲一吉。
十七年春三月、加耶送王子為質。
夏五月、大雨、漂毀民屋。
十九年春三月、大風折木。
秋七月、百濟来攻國西腰車城、殺城主薛夫。
王命伊伐利音、率精兵六千伐百濟、破沙城。
冬十二月、雷。
(訳文)
六年(201年)春二月、加耶国が講和を請う。
三月丁卯朔、日食があった。
ひどい旱魃が続いたので、内外の監獄にいる
囚人の罪状を調べなおし、軽犯罪者は放免した。
八年(203年)冬十月、靺鞨が国境を侵犯。
〔季節はずれに〕桃や李の花(すもも)が咲き、
人々は疫病の大流行〔に苦しんだ〕。
十年(205年)春二月、真忠を一伐飡とし、国政に参加させた。
秋七月、霜や雹が穀物を枯らした。
太白(金星)が月の中に入った。
八月、狐が金城及び始祖廟の庭で鳴いた。
十二年(207年)春正月、王子の利音(分注。奈音ともいう)を
一伐飡とし、内外の軍事を統括させた。
十三年(208年)春二月、〔王〕は西部の郡や邑を行幸し、
十日あまりで〔王都に〕帰った。
夏四月、倭人が国境を犯したので、
一伐飡の理音に軍隊を率いて反撃させた。
十四年(209年)秋七月、浦上の八国が連合して
加羅を侵略しようとした。
加羅の王子が救援を求めてきたので、
王は于老と伊伐飡の利音とに命じ、
六部の兵を率いて救援させた。
〔彼らは〕八国の軍隊を撃破し、
その将軍を殺し、6000千人を捕虜として
連れ帰った。
十五年(210年)、春から夏にかけて日照りがつづいたので、
使者を派遣して郡や邑の監獄にいる囚人の罪状を
再調査して、〔大逆・謀反の〕二つの死罪を除いて、
他をすべて赦した。
十六年(211年)春正月、萱堅を一飡とし、允宗一吉飡とした。
十七年(212年)春三月、加耶は王子を人質として送ってきた。
夏五月、大雨が降って、民家が毀れたり流れたりした。
十九年(214年)春三月、大風が吹いて樹木が折れた。
秋七月、百済が西部の腰車城を攻めて、
城主の薛夫を殺した。
王は伊伐飡の利音に命じ
て、
精兵六千を率いて、百済を討伐し、
沙峴城を陥れた。
冬十二月、〔王都に〕雷が落ちた。
≪参考リンク≫
『古代史獺祭』
『三国史記』
『三国遺事』
『三国遺事』
『電子大藏經』
『倭・倭人関連の朝鮮文献』
『朝鮮の歴史』
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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