2015年1月2日金曜日

第十代 奈解尼師今①


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 Matのジオログ
 さいたま朝日WEB
 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦

 第十代 奈解尼師今(在位196年-230年)

 (原文)

 奈解尼師今立。

 伐休王之孫也。

 母内禮夫人、妃昔氏、助賁王之妹。

 容儀雄偉、有俊才。 

 前王太子骨正及第二子、伊買、先死、大孫尚幼少。

 乃立伊買之子。

 是爲奈解尼師今。

 是年、自正月至四月、不雨、

 及王即位之日、大雨、百姓歡慶。

 二年春正月、謁始祖廟。

 三年夏四月、始祖廟前臥柳自起。

   五月、國西大水、免遭水州縣一年租調。

   秋七月、遣使撫問。

 四年秋七月、百濟侵境。

 五年秋七月、太白晝見。

       隕霜殺草。

    九月、庚午朔、日有食之、大閲於閼川。


 (訳文)

 奈解尼師今が即位した。

 〔奈解尼師今は〕伐休王の孫である。

 王母内禮夫人で、王妃は昔氏で、助賁王の妹である。

 〔王の〕容貌は勇ましく、その立居振舞いは優れ、

 俊敏な才能をもっていた。

 前王の太子骨正及び第二子の伊買が早死し、嫡孫はまだ幼少であった。

 そこで伊買の子を立てた。

 これが奈解尼師今である。

 この年、正月から四月まで雨が降らなかったが、

 王が即位する日になって大雨が降り、多くの人々は喜び祝った。

 二年(197年)春正月、始祖廟に詣でた。

 三年(198年)夏四月、始祖廟の前の臥柳が自然にたちあがった。

        五月、國の西部で大水がでたので、

        水害にあった州・県には一年間租と調を免除した。

        秋七月、使者を〔国の西部に〕派遣し、

        罹災者たちを〕慰問させた。

 四年(199年)秋七月、百済が国境を侵犯した。

 五年(200年)秋七月、太白(金星)が昼間から見えた。

        霜がおりて、草が枯れた。

        九月、庚午の日にあたる朔、日食が起った。
    
        大閲於閼川〔のほとり〕で多くの軍隊を集めて、

               訓練した。

 ≪参考リンク≫

 『古代史獺祭
 『三国史記
 『三国遺事
 『三国遺事
 『電子大藏經
 『倭・倭人関連の朝鮮文献
 『朝鮮の歴史

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)  
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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