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《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
第八代 阿逹羅尼師今(在位154年-184年)
(原文)
十三年春正月、辛亥朔、日有食之
十四年秋七月、百濟襲破國西二城、虜獲民口一千而去。
八月、命一吉飡興宣、領兵二萬伐之。
王又率騎八千、自漢水臨之。
百濟大懼、還其所掠男女、乞和。
十五年夏四月、伊繼元卒、以興宣爲伊
十七年春二月、重修始祖廟。
秋七月、京師地震。霜雹害穀。
冬十月、百濟寇邊。
十八年春、穀貴民飢。
十九年春正月、以仇道為波珍飡、仇須兮為一吉飡。
二月、有事始祖廟。京都大疫。
二十年夏五月、倭女王卑彌乎遣使来聘。
二十一年春正月、雨土。
二月、旱、井泉渇。
三十一年春三月、王薨。
(訳文)
十三年(166年)春正月、
辛亥の日にあたる朔(ついたち)、日食が起こった。
十四年(167年)秋七月、
百済が国内西部の二城を撃破し、
虜囚として一千人の住民を捕らえ帰った。
八月、一吉飡の興宣に命じて、領兵二万を率いて百済を討伐させた。
王もまた騎兵八千を率いて、漢水(漢江)よりこれに臨んだ。
百済は大いに懼(おそ)れ、掠奪した男女を還して、和を乞うた。
十五年(168年)夏四月、伊飡の繼元が死去したので、
興宣を伊飡にした。
十七年(170年)春二月、始祖廟を重ねて修理した。
秋七月、王都に地震。霜と雹が穀物を害した。
冬十月、百済が辺境で寇盗した。
十八年(171年)春、穀物が高くて、国民が飢え苦しんだ。
十九年(172年)春正月、仇道を波珍飡、仇須兮を一吉飡にした。
二月、始祖廟で祭祀をした。
王都に疫病が大いに蔓延した。
二十年(173年)夏五月、倭の女王の卑彌乎が遣使を以て来訪した。
二十一年(174年)春正月、土(つち)が降った。
二月、旱魃で井戸や泉が枯渇した。
三十一年(184年)春三月、王が薨(こう)去した。
≪参考リンク≫
『古代史獺祭』
『三国史記』
『三国遺事』
『三国遺事』
『電子大藏經』
『倭・倭人関連の朝鮮文献』
『朝鮮の歴史』
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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